こちらは万世陸軍飛行場跡地に建てられた平和祈念館であり、玄界基地を飛び立った海軍の零式水偵や特攻隊員の貴重な遺品が展示されています。
大戦末期の帝国陸軍航空隊は、知覧基地からだけの特攻機だけではまかなえず、急遽突貫工事にてこの飛行場を建設し、終戦までの約4ヶ月間の間に201名の隊員が戦況の悪化する沖縄へ向け出撃し、南冥の空へと散華してゆきました。
特攻隊員の遺書や血書からは死を前に書いたとは思えないほど、字の乱れが無く、気高い精神力が筆跡からも伝わってきます。
また、その内容からは国のため、家族のためにと戦った彼らの思いと、先に逝った戦友のためにと自らも続き、後からも必ずや後続者が続いて神風が吹き続けることを信じて散っていったことも読み取れます。
沖縄戦では、陸海軍守備隊はもちろんのこと、年端もゆかぬ少年少女に至るまで、軍民隔たりなく壮烈な最期を迎え、特攻隊員同様に本土決戦に向け本州側も後に続いて戦ってくれると信じ、その時間を稼ぐためにと玉砕してゆきました。
しかし、その後の大日本帝国は広島・長崎への原爆投下とソ連参戦を受け降伏を選択。その判断に間違いは無かったと思いたいですが、沖縄県民や特攻隊員からしてみれば、後に続くと信じて戦い、散っていったのに裏切られた形となってしまいました。
そういった経緯があるからこそ沖縄県民は島の歴史と先祖を尊び、地元愛に溢れているように感じます。
だからこそ、沖縄守備隊を率いた帝国陸軍司令官牛島中将が玉砕した日を慰霊の日として定め、その日が6月23日であることを県民誰もが知っているのではないでしょうか?
そのため、自分を含めた本州出身の国民が、そのことを蔑ろにし、忘れることは彼らの思いを踏み躙り、戦後となった現在でも彼らを裏切る行為となってしまうのではないでしょうか?こういった祈念館を訪れ、亡くなった英霊を忘れないことが、御霊への供養となり、沖縄県民との心の溝を埋める機会となることを強く願っています。