薩摩富士と称される美しい形の開聞岳とその前面に広がる壮大な東シナ海がとても美しい景観を織りなす灯台です。
そして、この遥か沖合では戦艦大和を主力とし、軽巡矢矧、駆逐艦雪風他10隻を擁した第二艦隊が沖縄を救うために出撃し、夢半ばにして米空母機動部隊により撃沈された坊ノ岬沖海戦があった場所です。
大和は最後まで対空戦闘を展開して苛烈な弾幕を張りましたが、遂に辿り着くことは出来ませんでした。帝国海軍最後の戦力となっていた大和の喪失は、事実上の海軍の敗戦を意味していました。
灯台は航海の安全と船乗りの道標の役割がありますが、この灯台まで帰ってこられなかった乗組員のことを思うと胸が痛みます。
この穏やかな海で眠る英霊もせめて同じように安らかであってほしいと切に願っています。
ここまでの道中は、ゴールに近づくほど狭く険しい道のりですが、先人の歩んだ道のりを考えれば、なんの苦にもなりません。
※自分は普通車で行きましたが、二輪か軽が最適です。
また、この東側には鎮魂の碑がありますので、ぜひ足を運んでみてください。