原因と結果の法則は絶対変えられないにもかかわらず、その上にいろいろと願い事をし、それが半ばかなえられないことがわかって鬱々とする。そんなふうに日々を暮らしている気がします。
あと何年働かねばならないのか、もう何年もすれば体の自由が効かなくなって、どこへでも自由に行けなくなるのではないか、これまで好きだったことや、やりたかったことにあまり意欲がわかなくなってきて、これから何を楽しみにしていけばいいのか、などなど。霊的視野からすればあまりに近視眼的なこまごまとした願望(願望があるから悩みもある)をわきおこるままにしているから、いつまでも心が晴れない。
しかし、思えば霊力の流れは雄大にしてのびのびとしていて、摂理もそのように働きます。であれば小さな自分の体に縛られないで、気持ちだけでもまっさらな生まれたての気分で毎日を迎えるようにすれば、霊力の支えを受けてなんとかなると思います。
「摂理はあくまで摂理です。完全な普遍性をもって、人間の願望におかまいなく作用します。」
「人間がその自然の摂理と調和して生きれば、幸福感を生み出すような結果がもたらされます。時には、こんなに幸せでよいのだろうか、と思うほど豊かな幸せをもたらしてくれることもあります。」
(「シルバーバーチの霊訓10」9章)