劣等感だけではなくすべての妬み、そねみ、恨みは人間の地上世界に限られた視野からくる誤解です。もちろん未熟な人間がやらかす害悪によってとばっちりを受けることはありますが、それでも霊的視野に立てば、そういう悪さをした人はそれなりの報いを受け、困らされた人にもそれなりの補償があるのです。ですからいつまでも地上の土俵だけで考えてはいけないのです。
神の公正、完全なる公正が、全地に行き渡っています。そこにはいささかの破綻も滞りすらもないのです。
オリンピックを見るまでもなく、世の中にはすごい人がいるものだと感心します。天は一方で、二物どころか三物も四物も与えておきながら、もう一方では何も無いだけならまだしも、生きる伸びることすらままならない状況に人を置いて涼しい顔をしています。いいえ後者は天のせいではなく120%人間のせいですが。
しかしだからといってなにも羨む必要も卑下する必要もありません。ただひたすらに霊的視野に立って、永遠の人生(における向上)を思って、今この瞬間の一つ一つの選択をこなしていけばいいのです。
「ここでぜひ指摘しておきたいのは、地上の人間は再生というものを、今の自分にない一種の栄光に憧れる気持ちから信じている場合が多いということです。人間世界でいうところの劣等感です。現在の自分の身の上がいくらみじめでもかつての前世では高貴な身の上だったのだと信じることによって慰めを得ようとするのです。
しかし再生とはそういうものではありません。自然の摂理によってきちんと公正が行き渡っております。必ずしも地上生活中にそうなるとはかぎりませんが、その場合は霊界において清算されます。そぅいうものなのです。」
(「シルバーバーチの霊訓10」7章)