すべての生命にはその大本の親である大霊めざして進化し続けるという目的がありますが、ただそれだけだとなぜこれほど生命が多様である必要があるのか、ということになります。進化という目的とならんで各生命がそれならではの個性を発揮することも大きな生きる目的です。

「死後の世界の豊かさをお伝えしようにも、それを例えるものが地上に無いのでうまく言い表せないのです。強いて言えば、本来の自我の開発を望む人たちの憧憬、夢、願望が叶えられる世界です。発揮されることなく終わった才能が存分に発揮されるのです。」

 通常、生活の必要に迫られて、世間体や自分自身の思い込みも手伝って、「本来の自我」をなかなか表現することはできません。それは霊的観点からするとほとんど生きていないのと同じです。たとえ肉体的に生きていると言えても。

「(地上世界を見渡して)まったく生きているとは思えない人、あるいは、かりに生きていると言えても、これ以上小さくなれないほどお粗末な形でしか自我を表現していない人が無数におります。」

 自我の願望を表現しようとすれば、不完全な我々のことですから摂理違反もたびたび起こることでしょう。そのたびにカルマ解消、償いをして進化の正道にもどるための行いも必要になりますが、だからといって小さく縮こまってばかりでは進化しようがありません(無理に大胆になることもないですが)。

「霊的意識が深まるにつれて、自分に無限の可能性があること、完全への道は果てしない道程であることを認識するようになります。と同時に、それまでに犯した自分の過ち、為すべきでありながら怠った義務、他人に及ぼした害悪が強烈に意識されるようになり、その償いをするための行いに励むことになります。」

 自我および個性の開発や表現と、霊的進化成長という2つの目的が交差する中、私たちは生きていきます。(「シルバーバーチの霊訓10」5章)