「地上生活の目的は、いよいよ霊界へ旅立つ時が来たときに霊に十分な備えができているように、さまざまな体験を積むことです。」

 行動範囲がどれほど広く、また多くの人に会い、様々な活動を行ったとしても、それだけで必要十分とは言えないわけです。本人がいかに人生を謳歌し、十分幸福だと思っていたとしても、それだけで霊的な必要を満たしているとは言えないわけです。おそらくそんな人は心のどこかで物足りなさを感じるのだとは思いますが。

「あなた方にとってイヤな体験こそ本当はいちばん為になるのですよと繰り返し申し上げるのは、そういう理由からです。(中略)ひどい目に逢わなくてはいけません。しごかれないといけません。磨かれないといけません。人生の絶頂と同時にどん底も体験しなくてはいけません。地上だからこそ味わえる意見を積まないといけません。かくして霊は一段と威力を増し強化されて、死後に待ち受けている生活への備えができるのです。」(「シルバーバーチの霊訓10」3章)

 イヤな体験ということであれば私にもずいぶんありました。それは自分が他人から見てイヤなヤツだったからでもあるでしょう。迷惑をかけるというより得体のしれない、何を考えているかわからない、とっつきにくい人間だったからだと思います。例えば、だれかが活動的で交友関係も広く、様々な楽しい体験をいかにもうれしそうに周囲の人と分かち合っているのを見て、自分はつい自己卑下し自分の殻に閉じこもるのですが、そんな時はその人にも自分にもイヤな思いを持ってしまいます。しかしそういう体験も大事だということですね。

 大事なことはそんなイヤな体験を霊的目覚めと成長につなげることです。