ブルース・リーは「水になれ」と言いましたが、なかなかそんなに素直になれるものではありません。なぜかと考えると、水になるということは自分が何者でもなくなってしまうと思うからではないでしょうか。人生が有限だと考えると余計にそんなことを考えられなくなてしまいます。

 世の中には自分が何者かであることを証明するためかどうか、自分の信じる正しさを声高に叫ぶ人も多いです。それをなるほど正しいと思い信じることもありますが、そこでとどまって思考停止しないようにしましょう。どんなにすばらしい「教え」や「主張」に思えてもそれに拘って思考停止してしまうと真理とのひずみが生じてきます。真理はどこまでも深く極めきることはできません。

 真理(の教え)に対していつも子どものように、水のように素直で心開かれていたいものです。

「私は何々の教えという名称には関心がありません。私が関心をもつのは真理のみです。間違った教えでもそれが何らかの救いになった人がいるのだからとか、あえてその間違いを指摘することは混乱を巻き起こすからとかの理由で存続させるべきであるとおっしゃっても、私には聞こえません。一方にはその間違った教えによって傷ついた人、無知の牢に閉じ込められている人、永遠の苦悶と断罪の脅迫によって悲惨な生活を強いられている人が無数にいるからです。」

「あなたは過去からあなたにとって筋が通っていると思えるもの、真実と思えるもの、役に立つと思えるもの、心を鼓舞し満足を与えてくれるものを選び出す権利があります。と同時に、非道徳的で不合理でしっくりこず、役に立ちそうにないものを拒否する権利もあります。ただしその際に、子供のように純真になりきって、単純な真理を素直に見て素直に受け入れられるようでないといけません。」(「シルバーバーチの霊訓9」10章)