人間は生きる限り成長する、とは普通に納得できるかもしれませんが、私はひっかかります。生きる限りというのは古い考えで、人間は死にませんから、こう言った方がしっくりきます。人間は永遠に成長し続ける存在である。

 さてそんな人間の健全な成長を邪魔するのが、病気ではなく心配の念です。病気は身体がらみのものでありせいぜい地上人生の間だけですが、心配の念や悩みは霊力の補給を閉ざしますから、それが無くなるまでいつまでも成長の障害になってしまいます。

 ところがこの心配や悩みというのは、真理の理解がある程度進むまでは成長と切っても切れない関係にあります。

 成長は未知の経験を積むことを通じてなされますから、脳(の感情を司る部分)が嫌がります。新しい脳神経のつながりを作っていかねばならないので負担に感じるからです。心配とか悩みとかこの負担感が根っこにあると思います。しかしこれを、いやいや、苦労するからこそ成長できるのだと、なんとか受け入れようとする脳の部分(前頭葉)もあります。しかしそれですっかり心配が解消するわけではありません。成長とはいっても自分が生きていることが大前提であり、未知の体験は最悪自分が死ぬことにつながるかもしれない。そんな恐れが前頭葉にとって暗黙の土台になっているからです。

 霊的真理の中でも、第一の真理つまり、私たちは身体を通して自我を表現している一個の霊である。この理解が進んでくると死ぬことの呪縛が溶けてくるとともに、心配や悩みに苦しまなくなってきます。

 それだけではありません。超ロングスパンの霊的視野を手にすることで、成長の速い人や、すごく先を行く人、それまで見たことも聞いたこともないようなすごい人を見ても焦らなくなります。そういう人は成長に向けて大胆な枠組みから始める人です。しかし成長へのスタンスは人それぞれです。毎日少しずつ進歩する。そういう生き方でもいいんです。

 自分には自分の個性がある。それを知って、それをさらに開発していくのです。それが霊的真理における人生です。これも永遠の冒険と呼ぶことができるのです。

「心配の念はあなたの霊的大気であるオーラの働きを阻害し、その心霊的波長を乱します。その障害を取り除くまでは生命力が流れ込みません。泰然自若の境地に至るには長く厳しい修行、過酷な試練、そして心配の念の侵入を許すまいとする不断の努力が要請されます。」

「心配することに費やしているエネルギーを建設的な思念へ転換すれば、健康上の問題は生じなくなります。神の計画は完全であり、あなたもその計画の中に組み込まれているのです。あなたも自分自身を完成しなくてはいけません。そのためのチャンスは日常生活の中にいくらでも用意されております。」

(「シルバーバーチの霊訓9」4章)