どんなことでも、やはり言い張るというところには、罪つまり摂理からの離反が生じると思います。どれほど深く真剣にこれが正しいと思っていても、人間にはどうしても愚かさや無知、利己心があるために間違っているかもしれず、少なくとも究極的正しさには達することができません。

 そこでどうしたらいいかというと、正しいと言い張るかわりに、究極の正しさを目指して学び続けるということだろうと思います。これならたとえ間違っても、それを少しずつ確実に減らしていくことができるからです。またその歩みは冒険に満ちた楽しい道行でもあります。

「神の計画は絶対に狂いません。本来は人間もその定められた計画にそって進まねばならないのです。しかし人間は愚かさと無知と利己心から誤った道へ外れる可能性もあるのです。美しい花を咲かせるべき庭園に雑草を生い茂らせることもありうるということです。正しい生き方は何であるかを、みずから学んで行かねばなりません。そうすることが人間としての神への貢献となるのです。潜在的には無限の霊的属性を秘めておりますが、それを駆使できるようになるにはそれなりの努力をしなければならないということです。」(「シルバーバーチの霊訓9」2章)