創世記にもあるように大霊なる神は人間に地上世界を管理する全権を与えられました。ですので、人間は創造者以前にまず管理者なのですが、実際にはただ管理するにとどまらず大霊とともに世界を創造していく役割も与えてくださっています。管理者であってさえ非常に責任重大であるのに、創造にも加えてくださっていますから非常に意気に感じますし人間にとって生きがいの源泉になっています。創造者であるというかっこよさが、同時に責任の重大さも意識させてくれます。

 このことはすべての人が常に意識すべきことです。

「大自然は、その本来の仕組みどおりに働けばかならずバランスと調和が取れるようになっているのです。人間が自然と調和して生きれば、地上はパラダイス、神の国となります。」

 自然界は弱肉強食の世界なのに人間が肉を食って何が悪い?というのは動物性の名残をひきずっています。動物は今この瞬間を生きるために食べますが、人間はそうではなく美味いものが食べたいという欲のために食べています。人間はまた見た目に振り回されています。摂理のごく一部として肉食動物が捕食することをさも残酷に感じ、きれいにパックされてしまえば”お肉”のもとの生命について考えたりしません。また生命についてもいつまでも長く健康で若々しく生きることだけが正しいと思い込んでいます。人間はもっと雄大で多様な構想の中で生きるように配慮されているというのに。

 自分の欲を必要最低限満たせば、あとはこの世界をより良くし、すべての生命が幸せになるため自分に何ができるかを考えてそれに励むべきなのですが、いつまでも欲望を満たすことばかり考えて道を踏み外しているのが現状です。

「たしかに捕食動物はいますが、それは”適者生存”の摂理の一貫であり、しかも大自然の摂理全体のほんの小さな側面にすぎません。自然界の本質は協調です。共存共栄です。たとえてみれば人間は地球の庭師のようなものです。植物の本性に合わせて手入れをしておれば庭は美しくなります。今では人間が捕食動物となっています。何百万年もの歴史の中で人間ほど破壊的な生物はおりません。」

(「シルバー・バーチの霊訓8」7章」