私がかねがね疑問に思っていることの一つが、なぜ人間は霊性に目覚めなくてはならないのか、あるいは真の霊的自我を悟らなければならないのか、ということです。というのも人間とは元々霊なのであり、自分が霊的存在であることは分かっているはずだと思うからです。それをわざわざ忘れて地上人生でつらい生き方をして、そのことを再発見させられるのは何のためかということです。
生まれたての霊であれば自分が生きているという認識が希薄なので、生きていることのありがたみを噛み締めさせるための神の配慮と考えることも出来ますが、今の時代、地上人のほとんどは再生人生を歩んでおり地上の生死をすでに体験して自分は確かに生きているという認識はもっているはずです。
「大霊は無限の多様性をもった統一体です。人間一人一人異なっていながら根源においては同じです。同じ大霊によって生命を賦与されているからです。が、顕現の仕方は多岐にわたり、まったく同じ個性は2つと存在しません。しかも、いずれも神の遺産として、発達させれば自分より恵まれない者を救うことのできる能力が賦与されているのです。
あなたも例外ではありません。その能力を発達させるのがあなたの義務なのです。必ずしも霊的能力にかぎりません。他にもすべての人間が所有し世の中を豊かにする手立てとすることのできる才能がたくさんあります。地上の人間のすべてがそれぞれに授かっている才能や技能を発揮するようになれば、どんなにか世の中が明るくなることでしょう。」
(「シルバー・バーチの霊訓8」6章)
霊的自我の再認識とは個性の覚醒にその根本目的があるのではないでしょうか。真我の発見とは、真の個性つまりそれを発達させることで人々を助け世の中を豊かにする、その人ならではの才能に目覚めることではないでしょうか。