シルバーバーチの交霊会に参加する人の中には、今と違って(?)、家族や仲間と死後もずっといっしょに暮らせるのか気になる人もいたようです。今なら個人の生活を大事にする人が増えていて、また生活の場そのものが常に変化しやすい状況ですから、そういった他人との結びつきにこだわり、固定的に捉える人は少なくなってきていると思います。またそんな変化は人類進化の一つのあらわれであるとも私は思っています。
このことに関する回答がこうなっています。
「その人たちと同じ発達レベルまで到達すればもちろんいっしょになれます。こうしたことは収まるべくして収まる問題です。あなたは今これまで霊的に到達した境涯、段階、存在の場を占めているのです。それと同じレベルにある者はみな似たような発達状態にあるのです。ですから、ご質問にな対する答えは、あなたがその人たちと同じ霊的発達段階に至ればいっしょになれます、ということになります。」(「シルバー・バーチの霊訓8」4章)
質問が、わたしとかあなたとかパーソナリティとしての個人のことを想定しているのに対して、回答は霊のレベルでのものとなっています。そこには大きな視野の違いがあると思います。霊としての人間はインディヴィジュアリティーといって地上の個人的部分は含みつつもっと広大です、個性は備えつつも地上のその人をはるかに超えた小宇宙なのです。「境涯、段階、存在の場を占めている」領域なのです。
星雲と星雲が合体しても私たちにはそれとわからないように、インディヴィジュアリティどうしが同じ発達レベルにあるということを、懐かしいあの人と再会できるということと同列に捉えることはあまりに視野が狭いというか古臭いという気がします。もちろん摂理は愛と叡智に満ちていますから、会おうとすれば会えるのは確かなことですが、そのレベルで喜んだり満足しているだけでどうなのか、というのが今の気分です。