今日はいつにもまして一段と妄想の度合いが高いです。
少し前に時間は存在しないという本が流行りましたが、もしそうならばとても大きな慰めになるのではないか。過去は二度と戻らないという、どうしようもない、ただ忘れることでしか克服できない悲しみを取り除いてくれる真理になるのではないかと思ったのです。
霊訓では、時間は永遠の現在であるという言い方をします。時間は車輪のようにただ一所で回転し続けていて流れ去るものではありません。ただ私たちの時間に対する関係性が、私たちのその時々の自由意志の行使によって変化します。これは私の妄想では時間という幅の広い糸巻きに関係性という糸を様々な角度で巻きつけていると捉えられるのではないか。自分を今の自分にならしめているもの、時間に刻んだ関係性の軌跡は変えられませんが、それを上(?)から見直すこと(あるいは、ためつすがめつ違う角度から見直すこと)はできるのではないか。というのも時間の糸巻きを自分自身の視点を移動することによって見直すことは可能だと思うからです。
桜は散り今年の美しさは二度と戻りませんが、季節は繰り返しまた来春には満開の花を堪能できると思うと悲しいとは思わなくなります。人生の過去の悲しみも、また将来への不安や重苦しさも、ただこの永遠の現在との関係性であり、それはいつでも捉え直すことができるのだと思えば、それは大きな慰めとなり気持ちを楽にしていられるのではないかと思ったのです。
このテーマはまだ試行錯誤の段階で、まだ書くべきではないのかもしれませんが、記録として残しておこうと思います。
「時間は永遠の現在です。過去でも未来でもありません。それがあなたの過去となり未来となるのは、その時間との関わり方によります。とても説明しにくいのですが、たとえば時間というものを回転し続ける一個の円だと思ってください。今その円の一点に触れればそこが現在となります。すでに触れたところをあなた方は過去と呼び、まだ触れていないところを未来と呼んでいるまでのことです。時間そのものには過去も未来も無いのです。(中略)つまりあなたの行為によって作動させた原因、言いかえれば自由意志が生み出した原因から生じる結果をごらんになるだけです。それは時間そのものには影響を及ぼしません。時間との関係が変わるだけです。」
(「シルバー・バーチの霊訓8」2章)