魂としての私は地上時代の私より遥かに大きく、またその生命は永遠に続きます。もしそれが真実ではなくやはり見た目限りの私、死んで終わりの生命であれば、作り出した業に対して良いにせよ悪いにせよ不釣り合いな結果を受け、求めて出来たはずの様々な体験をせずに終わってしまったという後悔だらけの人生になるでしょう。
そのような前提で所詮人生は不公平なものと思い込み、年を取るにつれ諦めてばかりという人が多いのではないでしょうか。それではせっかくの与えられた時間ももったいないことになりますから、人間は魂であり思っているより遥かにはるかに豊かであり可能性に満ちていると信じる方が少なくとも得であり健康的です。
自分の作り出した業に対して受ける結果も、その長い人生の中で必ず釣り合いが取れるようになっています。
悪いことをしてそれを受け止めないとしても、ここは謝っておいたほうが事を荒立てなくて済むからと何でもかんでもすぐ謝罪したとしても(ところで誰かに迷惑をかけるということがイコール罪なのでしょうか、罪とはそんなに軽いものなのでしょうか)、そんなことにはお構いなしに、自分の犯したことに対する正しい裁きはいずれ必ず受けることになっています。善人だろうと極悪人だろうとそうなのです。
魂の豊かさを見抜くことができれば焦ったり苛立つたり悲しんだり怒ったりすることはなくなります。
「地上での出来事はいつの日か必ず埋め合わせがあります。いつかはご自分の天秤を手にされてバランスを調節する日がまいります。自分で蒔いたものを刈り取るという自然法則から免れることはできません。罪が軽くて済んでいる者がいるようにお考えのようですが、そういうことはありません。あなたには魂の豊かさを見抜く力がないからそう思えるのです。」(「シルバー・バーチの霊訓5」11章)