死の迎え方を特集したNHKの番組の再放送を見ながら、ふと自分の死に際が想起されました。もっといろいろな体験、冒険をすればよかったと後悔するにちがいないという非常に切ない気持ちになりました。

 であれば今からでもそういうことをやればいいではないかと思われるでしょうが、それがなかなかできないのです。

 一番は自分が怖がりだからです。失敗や怪我をしたら、人から笑われたらと恐れ、それをごまかすためにお金や時間がないからと自分に言い訳をしますが、一番は怖がりだからです。この恐怖心を克服することが人生を豊かにするうえで非常に大切です・・・、などと評論家のように言うのではなく自分事として向き合う時に、そのような自分を窮地に立たせるかもしれない物的経験のすべてが霊力をもってすれば必ずや乗り越えられるということを今一度噛み締めねばならないのです。

 恐怖心があるということはそれを信じきれず、物質が世界の全てであると心の何処かで未だに思い込んでいる証拠だと思うからです。

「目に見え手に触れるものだけがすべてだと考え、従って物的世界が提供するものをすべて所有することによってしか自分の存在を主張できない人間なのです。」(「シルバー・バーチの霊訓5」9章)

 そういう人間は未熟であり容易に利己主義に陥り悪人になってしまいます。霊としての自己認識のある者は、霊の断然優位をまた信じる者でなければならないのです。