「一見立派そうな人間が霊的事実について誤った概念と偏見と無知のために、死後に直面する生活に何一つ備えができていないというケースがまたあまりに多すぎる」ということがあるようです。どうしてそのようなことがあるのでしょう。

 素朴な真理が地上では埋もれてしまっているということがあります。

「人間はその(啓示された素朴な真理)上に教義だの、ドグマだの、信条だの、儀式だのという”構築物”を築き上げてしまいました。単純素朴な真理の基礎の上に神学という名の巨大な砦を築いてしまい、肝心の基礎がすっかり忘れ去られております。」

 真理は単純素朴で一つしかないのに、それを何々を教典とする何々教と名付け、何処其処の民族の誰々という教祖による、などと付帯物を加えてそちらのほうが大きくなりすぎて、中身を見えなくさせてしまうのです。また、そのようになる背景には知ったかぶりをしたがる人間の本性のようなものが関係しているのではないでしょうか。

「他人がどう言おうと気にしてはいけません。非難・中傷など、すべて忘れることです。霊的真理こそ永遠に変わらぬ真理なのです。」

 ここにあるように、他人と比べるなという流れで語られるのは自分に自信を持てということが多いですが、逆に自分のほうが勝っている優れていると悦に入ることにも注意しないと、それが勘違いを生み真理を遠ざけてしまうということもあると思います。(「シルバー・バーチの霊訓3」4章)