苦労は成長につながるチャンスと思って喜びなさいとよく言われますし、そのように自分に言い聞かせて我慢するのですが、いくらそのとおりだとしても苦労はやはりいやです。成長につながるというのは後付の理屈のようでもあります。しかしこのことは摂理の働きを理解し霊力が身近に感じられるようになった人にとっては事情が違うようです。
「苦労を通じて霊力の働き、地上への働きかけの原理を理解した者だけが、その霊力との交わりから生まれる内的な喜びを味わうことが出来ることを述べんとしているまでです。
それは地上の言語ではなかなか表現しにくいことです。が、その霊力の恩恵に浴した者は、人生には魂まで傷つけ挫けさせ宿命の成就を妨げるものは絶対に生じないことを知り、自信を持って堂々と生きることが出来るということです。霊的淵源に発し、神性を宿したその素晴らしい富ーーー神の宝庫の一部であるところの、無限の価値を秘めた宝は、受け入れる用意さえ整えれば永久に自分のものとすることができます。」
(「シルバー・バーチの霊訓2」2章)
苦労を成長と一足飛びに結び付けないことです。苦労は成長のチャンスというより愛を発揮するチャンスです。苦労の中で愛を発揮しようとするから霊力の頼もしい援助を受けられるのです。それは大いなる深い喜びに違いありません。そうやって霊力の恩恵を蓄えていく中で気づいたら成長できているというわけです。苦労の中で霊力を愛として表現できたことが尊いことのように思えて嬉しくなるのです。