シルバーバーチの教えに感動してお礼を言おうとすると、いつもそれを素直に受けようとせず、感謝は神に捧げなさいと逆に注意されます。それはなぜかと言うと:

「そのつど注意して大霊の摂理の存在を指摘しておかないと、そのうち誰かがわたしを崇めるようになり、またぞろ過去の過ちを繰り返すことになりかねないのです。」

 本当に崇められるべきは大霊とその摂理のみであるのに、人間は目に見えるものしか信じようとしないクセがあるために霊性に目覚めた人でさえ注意していないとその肝心要めを忘れ、そのくせインパクトのあったことは忘れたくないので形にばかり気を取られてしまいます。

 人間は目に見えるものや人、地上のことに囚われすぎなのでしょうか。気づいていないだけで発明や思想などは霊界からのインスピレーションをほとんどそのまま地上に降ろしているだけなのに。

「地上には偉大な科学者、偉大な発明家、偉大な教育家と呼ばれている人が大勢いますが、実際はこちらの世界からの情報の媒体に過ぎないのです。真理とか発明とかは地上に届けられればそれでよいのでして、誰がそれを伝達するかはどうでもよいことなのです。」

 汲めども尽きぬインスピレーションをすぐ文字や形に落とそうとするのは仕方ないことですし、そうしなければ地上で役立てることはできませんが、誰がどんな表現を言ったのか形や文字面ばかりに囚われて魂を忘れてしまうとしたら、それこそ本末転倒というものでしょう。

(「シルバーバーチ愛の摂理」207,208頁)