以前にも書きましたが、「魂の潜在力」という言葉がすごく好きです。自分のモットーにしても良いぐらい。なにせこの魂の潜在力があるからこそ、生き甲斐が生まれ、生きていく上での愉しみが湧いてくると思うのです。
 自分は今こうやって文章を考えながら自分の魂に潜在するものを探っていますが、ちょうど今いるのは猛スピードで走る通勤電車の中であり、電車の運転手はやはりその人自身の魂の潜在力を開発しつつ職務に当たっているはずです。魂の潜在力を開発することは、すべての人に課せられた責務でもあります。
「各自が自分の人生の重荷を背負わねばならないのです。」ーーーあなたもですよ。
 人間の責任についてすごくわかりやすい霊訓の箇所があるので、長いですが引用します。
(質問)広い意味において人間はすべての人に対して責任があるのではないでしょうか。世の中を住み良くするのは、みんなの責任だからです。ーーー
「おっしゃる通りです。その意味においては、みんなに責任があります。…しかし、責任とは本来、自分が得た知識の指し示すところにしたがって人のために援助し、自分を役立て、協力し合うということです。しかるに、知識は一人ひとり異なります。したがって、他人が他人の知識に基づいて行ったことに自分は責任がないことになります。」
「が、この世は自分一人ではありません。お互いが持ちつ持たれつの生活を営んでおります。すべての生命が混じり合い、融合し合い、調和し合っております。そのすべてが一つの宇宙の中で生きている以上、お互いに影響を与え合っております。だからこそ知識に大きな責任が伴うのです。」
 知識を得て、それが本当にもっともだとお腹の底から納得することがあったとして、それで満足してそのあとは無視したり、それに従うことになんの注力もしないでいるとしたら、責任を果たしていないことになります(といって決して無理に納得する必要はなく、焦る必要もありませんが)。
(「シルバーバーチ愛の絆」200、201頁)