「宗教界との戦いのほかに、もう一つ、人間の”心配の念”という敵との戦いもあります。無知から生じる無用の心配の念が無数の人間の心に巣くっております。心配というのは想像の世界にしか存在しないものです。実在しないということです。それで私は心配の念を棄てなさいと繰り返し申し上げるのです。」(「シルバーバーチの霊訓12」190頁)
 ~したらどうしようという心配の、~は確かに(まだ)想像の段階です。しかしそれが実際に起こり得ないわけではありません。たとえば毎日通勤に使う電車。ものすごいスピードで走っているわけですが、時々ふと、もし脱線したり固くて大きな岩等にぶつかったらどうしようと怖くなることがあります。私のいつも利用する路線で実際にそういうことが起きたことがあります。
 だから具体的な現象(事故等)が生じることはあるのです。とすると心配は実在するのかと考えてみると、心配や不安の本当の根っこは事故に遇うことそのものよりも、それによって自分が損なわれ失われることにあるのではないかと思うのです。
 事故の際霊はどのように動くかというと、無理矢理身体から引き剥がされるのでショックは受けますが、自分自身の意識としては決して無くなりません。最初わけもわからず混乱するとしても、いずれ生前と同じ意識が戻ってくるということです。肉体的苦痛もほとんどの場合感じないそうです(外見は苦悶の表情だったとしても)。だいたい一瞬気を失うが気づいたら霊界(幽界)にいるといった感じです。
 本質的には元通りの自分が続くわけですから自己消滅の心配、不安は想像の産物ということになります。