「一ばん厄介なことは、人間が物的なものに浸り切ってしまい、人生のすべての基盤である永遠の霊的原理を忘れてしまうことです。あなたがもし思い通りにならないからといって悩んだり、失望したり、イライラしたりするようであれば、それはあなたがまだ一ばん大切なことは本当のあなたである”霊”にかかわることでありその”身体”ではないということを理解していない証拠です。」(「シルバーバーチの霊訓12」172頁)
 人の最大の悩みは人間関係であるとどこかで聞いたことがあります。人との摩擦が起こったとき、それをどう捉えるか、霊的成長にともなって変化することに気付きました。精神の、より肉体的反応から、より霊的な反応への移り変わりです。
1.感情に任せて反応すること。「物的なものに浸り切ってしまい」、自分の物質的で凝り固まった考えにそぐわない他人に対する、より肉体的反応です。感情、精神が揺れ動いて自分を見失い、疲れるし、あとで冷静になってから後悔します。
2.精神が発達すると、知的合理的になって個人や組織の目的にかなうかどうか、またそうなるためにどうしたらいいか、という視点で相手を見るようになります。単なる思い込みからは離れて柔軟で合理的になるので感情的にはならないかもしれませんが、目指す目的が地上かぎりの物質的な段階なので、人を霊ではなくモノとして捉えていると言えるかもしれません。
3.霊的知識が段々身に付いて「理解」できるようになってくると、単に頭で、ああ、この人も神に愛されているのだから(腹が立ったり納得できなくても)大事にしなくてはと思う(ようにする)、一時的一方的な反応に止まらず、この人は今、導かれてこの霊的段階にあるのだから、神の愛を知る私は、その愛を働かせてこの人と接するようにしなければならない、と思うようになります。神の愛に基づく反応なので永続的で安定しており相手の出方によって乱されることがありません。
1→2→3はグラデーションを描きながら進んでいきます。霊的原理にしっかりと従えば従うほど悩むことはなくなります。