”ワクワク感”これが大事なんです。表現が適切かどうかは別にして、そういったものがなければ人間はロボットと変わらなくなってしまいます。
  霊訓にあるから、それが摂理だから、あるいは神がそう命令しているように思うからというだけで、”人のため”を行うのだったら洗脳と変わらない。あるいは天の声が人殺しを命じるので実行したりするのと変わらない(洗脳や天の声の実行にワクワク感はあるのでしょうか?もしそうなら今日のブログは無視してください)。
  真理にしたがって行動しようとするとき、初めて霊性に目を開かれた時の高揚感とはまたちがったワクワク感があります。魂が鼓舞されるのです。
  真理に親しむと地上的な騒ぎから離れ、意識が霊的なものに向かうので表面的に静まって見えます。しかし最初の内は利己性がなかなか弱まらず(だけでなく決してすっかり無くなることはない)、霊的な世界の中でも勝った負けたの競争原理を持ち込んでいる事がありますが、しかしそれも一時のこと。だんだんそんな余計な気持ちも薄まってさらに真理に親しめば、自分の個性を活かし主体的に(だからロボットではない)宇宙の造化の仕事に携わるという喜びが感じられるようになっていくと思うのです。
  霊訓に書いてあるからそうする、という段階を超えていくのです。
「どこであろうと、誰であろうと、神の御心に適った人は真の大源から力を授かり、心が啓発され、魂が鼓舞され、造化の仕事に参加させてもらえるのです。」(「シルバーバーチの霊訓12」132頁)