霊訓を読みながら色々と考えていると、どうしても死んだ後のこととか宇宙のこととか、現実から遠く離れたことについてばかり意識が向かうようになります。
  もちろんそればがり一日中考えているわけではありません。私とて霞を食って生きていくわけにはいかないし職場の人や家族に迷惑をかけるわけにはいきません。
  でも今の時代に生きるこの私はそうとして、たとえば何百年も昔、どこかの国のどこかの地方で暮らした今となっては実在したかどうかでさえ調べようのない”何某何兵衛さん”は今頃霊界で何をしているだろうか、と思うのです。何兵衛さんの個性は残っているでしょう。しかしその彼が地上時代のある朝、どんな朝食を食べたとか、その年の農作物の出来がどうであったかとか、何かが原因でお隣とケンカしたことだとか、どこかに旅行に行ったり遊びに行ったりしたことだとか、はては自分の名前が何だったかとか、そんな個別具体的な記憶は、どこかを探せば出てくるのかもしれませんが、とても意識に上っているとは考えられないでしょう。
  地上生活でありがたがったり、逆に毛嫌いしたりするどんな個別具体的な事物も、より高き生命の波長の前には些細なことすぎてとても捉えきれないのだと想像されます。
「幸いにして私どもは、地上の子らの中にもあなたの霊性に触れ、その耳・その目・その精神・その心・その魂をより高き生命の波長に合わせ、私どもがあなたから仰せつかったメッセージに耳を傾ける者を見出し、その者たちとの交わりの場をもつことを得ております。その幸せに深甚なる感謝を捧げます。」
(「シルバーバーチの霊訓12」105頁)