先日ちょっと書いた本山博さんと稲盛和夫さんの対談を読んでいて、自分をなくして人の為に尽くすことが、かえってより大きな自分への霊的な成長につながることを改めて考えさせられました。
祈りが聞き届けられることについて、霊訓に「自分のことを思わず、本当に人のためになることを、理想に燃え熱心に祈るならば、その祈りは無視されない」とあります。
これは「自分のことを思わず」小さな自分へのこだわりがはずれて初めて守護霊からの助けを得られるということだと思います。
小さな自己中心の自分へのこだわりをはずすため、一生懸命仕事にはげんだり、本当に人のためになることに熱心に取り組んでいると、意識しないうちに自他という分離のない真我の境地に立つことになるのだと思います。
真我をできる限り顕現していくために、日頃から人のためを常に第一とする、利他業、奉仕を実践する、またそんな実践の時、自分のやっていることではあるが(自分の手柄などではなく)、これは「大きな自分」が「小さな自分」を通して行っているだけのことなのだと認識しているといいのかもしれません。
祈りが聞き届けられることについて、霊訓に「自分のことを思わず、本当に人のためになることを、理想に燃え熱心に祈るならば、その祈りは無視されない」とあります。
これは「自分のことを思わず」小さな自分へのこだわりがはずれて初めて守護霊からの助けを得られるということだと思います。
小さな自己中心の自分へのこだわりをはずすため、一生懸命仕事にはげんだり、本当に人のためになることに熱心に取り組んでいると、意識しないうちに自他という分離のない真我の境地に立つことになるのだと思います。
真我をできる限り顕現していくために、日頃から人のためを常に第一とする、利他業、奉仕を実践する、またそんな実践の時、自分のやっていることではあるが(自分の手柄などではなく)、これは「大きな自分」が「小さな自分」を通して行っているだけのことなのだと認識しているといいのかもしれません。