秋葉原の事件を起こした犯人を取材した研究者が、事件の重大性に比べて、犯人本人の「ショボさ」が印象的だった、ということを本に書いているそうです。
「ショボい」というのは想像するに、自分の殻に閉じこもって鬱々としている状態ではないかと思うのですが、そういう人が、傷つくことを恐れるあまり、(心理的にも、物理的にも)一歩も外に踏み出せない、というのはよく指摘されるところです。
なぜ引きこもりになったり、誰とも打ち解けられなくなるほど傷つくことを恐れてしまうのか?
恐らくそういう人は、人生の中で少なくとも一度は、自分は生きていてはいけない、と思わざるを得ない状況におかれたことがあるのだと思います。まだ充分に自我が確立していない時期に味わった全身を覆いつくすほどに強烈な空しさ、孤独感、罪悪感などを何とか否定しようと、生きていていい理由を思いつき、その理由が正しいことを絶えず確認していないと気がすまない。その理由が否定されることを非常に恐れているのではないでしょうか。
やはり子供には自己肯定感をしっかり持ってほしい。生きていることだけですばらしい、それだけで本当にありがとうと伝えたい。
しかし、そんな基本的な自信を持てないまま社会人になったなら、苦しくとも(少しずつでいいので)社会と関わっていくことで人生の本当の目的を見出していくしかありません。知識をいくら詰め込んでも結局自分自身が心の底から納得(琴線にふれる体験)しなければ意味がないからです。
そう考えると、程ほどの自信で程ほどに社会に適応している普通の人よりも、どうしようもなく心に苦しみを抱えている人のほうが、一気に真理に近づくチャンスを与えられているのかもしれません。
「すべて重荷を負い、苦しんでいる者は私の元に来なさい」とイエスは言われましたが、現代では是非シルバーバーチの霊訓を紐解いていただければ、と思います。
takao
「ショボい」というのは想像するに、自分の殻に閉じこもって鬱々としている状態ではないかと思うのですが、そういう人が、傷つくことを恐れるあまり、(心理的にも、物理的にも)一歩も外に踏み出せない、というのはよく指摘されるところです。
なぜ引きこもりになったり、誰とも打ち解けられなくなるほど傷つくことを恐れてしまうのか?
恐らくそういう人は、人生の中で少なくとも一度は、自分は生きていてはいけない、と思わざるを得ない状況におかれたことがあるのだと思います。まだ充分に自我が確立していない時期に味わった全身を覆いつくすほどに強烈な空しさ、孤独感、罪悪感などを何とか否定しようと、生きていていい理由を思いつき、その理由が正しいことを絶えず確認していないと気がすまない。その理由が否定されることを非常に恐れているのではないでしょうか。
やはり子供には自己肯定感をしっかり持ってほしい。生きていることだけですばらしい、それだけで本当にありがとうと伝えたい。
しかし、そんな基本的な自信を持てないまま社会人になったなら、苦しくとも(少しずつでいいので)社会と関わっていくことで人生の本当の目的を見出していくしかありません。知識をいくら詰め込んでも結局自分自身が心の底から納得(琴線にふれる体験)しなければ意味がないからです。
そう考えると、程ほどの自信で程ほどに社会に適応している普通の人よりも、どうしようもなく心に苦しみを抱えている人のほうが、一気に真理に近づくチャンスを与えられているのかもしれません。
「すべて重荷を負い、苦しんでいる者は私の元に来なさい」とイエスは言われましたが、現代では是非シルバーバーチの霊訓を紐解いていただければ、と思います。
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