人が生きていくということは、個人のレベルで見ると生命力の(やむにやまれぬ)発露ということになると思います。つまりじっとしていることには耐えられないということです。

 生命力の発露が具体的にどんな形になるかと考えると、他者との交流を求めたり、好奇心から未知の世界を探険したり、と最低限の衣食住の確保以外は、あまり「モノ」集めの優先順位は高くなかったと思います。

 それがどうしてこれほどまでに「モノ」のあふれる世界になったのか?
 そもそものきっかけは、贈り物等で他者との交流に「モノの交換」が付随するようになったことだと思います。やがて「モノの交換」が他者との交流の代用となり、これが手っ取り早くて便利だったことや、交換される目新しい「モノ」が人々の好奇心を刺激したこともあって、ますますこの動きが広まって単なるコミュニケーションの手段から独立した経済活動になっていき、さらに交換を円滑にする貨幣が発明されて、次々に新しいモノが作られ流通するようになったのだと思います。
 つまり、現在のモノにあふれた物質経済の原動力は、「人と交流したい」という最初からあった願望と、尽きることのない「好奇心」だと言えるのではないでしょうか?

 でも、いくら「モノ」をコレクションしても、それだけでは他者と広く深く豊かに交流しているわけではありません。また世界全体に物質文明が行き渡り均質化してくると、人々の好奇心の対象も必ずしも「モノ」ではなくなりつつあります。いわゆる「物質的な豊かさ」が、そのまま生命力の豊かな発露につながらなくなってきたのです。

 それでは、これから人々は生命力をどこへ向けて注いでいけばいいでしょうか?
 それは、例えば「モノ」ではなく「体験」を通して他者と交流することであったり、外部の「モノ」を自分の元に集めてくるのとは逆に、自分の内にあるものを外に向けて表現していくことであるかもしれません。

 地上人生の目的は個性の強化にあると霊訓にもあります。物質的に豊かかどうかではなく本当の自分をどれだけ豊かに表していけるか、その上でまわりとどれだけ豊かにつながっていけるかが、これから大事になってくるのではないでしょうか。
 
                                     takao