土日は時間が自由になる分、ヤブ用が多くてなかなか落ち着いて真我とつながる間がありません。いつもブログの内容を考える時は心を整えてから下書きを作るのですが、今はパソコンの画面に直接タイプしています。
 休みの日には休みの日にしか書けないことがあると思うのでそんな切り口で入ってみようかと思います。

 田舎に住んでいると時間が本当に静かに流れていきます。通りを歩いていても車は通りますが人はあまり見かけません。その代わりしばしば見とれてしまうのが自然の風景です。今朝も駅に向かう途中いつも庭をきれいにされているお宅のシンボルツリー(ケヤキ)の樹形が美しく、自然の造形の不思議さ気高さを改めて考えさせられました。私は昔から木が好きで、春もいいですが、今の時期、葉を落として枝ぶりだけになった木々の様々な形を眺めるのも大好きです。また、裸樹ではないですがサザンカの花のひっそりと静かなたたずまいも好きです。きっと冬のピンと張り詰めた空気がそうさせるのか、何か深い精神性のようなものを感じるのです。
 田舎だから何もないのではなく、都会ではちょっと見つけにくい深いものがあると感じる瞬間です。
 そんな田舎を歩いていると、ふとこのままあの世への入り口に入っていけるとしても、そんなにありえないことではないな、と感じることがあるのです。昔はあの世とこの世(顕幽)の差が実感としてそんなになかったのじゃないか。産業が発達して人が多くなって、つまりこの世が騒がしくなってこの世の存在感が強まったけど、落ち付いてまわりの自然に目をやると、まだまだ精神的な世界への扉はいくらでも開かれています。

 科学の発達で自然をコントロールできる、という科学万能、物質主義的な発想では決して近づけない世界。そんな世界に対する畏れの気持ちが大切かもしれません。

                                        takao