守護霊の話が出ました。これは聖書では守護天使とも書かれていますが、必ず私たち一人ひとりにそれぞれついていて、何時いかなる時も見守ってくれています(と考えると、恥ずかしいことはちょっと出来ません)。
 皆さんもふと感じることはありませんか?私の場合は何かひらめいた時に瞬間、「あ、いてくれてるな。」と感じることが多いです。もちろん人の気配のようにはっきりとしたものではありませんが。

 守護霊はいつもそばにいるのです。これはもう信じるしかありません。

 私たちが神仏に祈るとき、直接聴いてくれているのは真我を除けば守護霊(と背後霊)だけです。神:大霊は摂理を通してしか世の中にタッチしませんから、一人ひとりの個別の祈りには、それがどれだけ真剣であろうと直接感知しません。しかし守護霊は、祈りを通して私たちの心が裸になり真我につながった時、摂理に沿った導きとインスピレーションを与えてくれます。
 そんなすばらしい存在なのにもかかわらず、私たちは普段の生活で彼(ら)との間に壁を築いてしまうことが多いのです。守護霊と私たちとの間に壁がある状態を一言で言うと、「心ここにあらず」です。

 後悔、喜怒哀楽の感情、焦り、不安、取越苦労・・・。
 落ち着きましょう。失敗や悔しさ、悲しみの出来事は今、目の前のことですか?困難・危機に今まさに直面しているのでしょうか?
 私たちは、記憶の残像に過ぎない過去や、まだ存在もしていない未来に縛られすぎなのです。様々な思いが去来するのはいいのです。しかしそれに浸っていては現実の世界から離れていくばかりです。
 
 現実は今この瞬間にしかありません。
 過去から未来、全ての出来事は、その瞬間瞬間の私たちの霊格に応じて、進化成長するための最良の学びとなるよう深く配慮されているのです。摂理とはそういうものだと思うのです。道はすでに敷かれているのです。
 守護霊は見守ってくれています。私たちが一瞬一瞬を最高に活かし学んでいるか、もしや物質や邪霊の低い波動に引っ張られて、現実と惑わしとの間で引き裂かれそうになっていないか。
 守護霊は見守ってくれています。苦しいとき素直に助けを求めるならば、即座に進むべき道を示してくださいます。
 私たちはただ、瞬間瞬間にしっかりと向き合い、その導きを無駄にしないことです。

                                      takao