このブログも毎日更新してきて、ちょっと根つめている感じもするので、土日は少し気楽な切り口で書こうかな、と思っていたのですが、まだそんな時期ではないようです。

 「神の愛」が全宇宙に注がれ続けているとすると、どうしてこんな悲惨な事件や殺し合いがあるのか?という疑問にぶつかります。このことを理解するのにどうしてもはずせない前提があります。

・「死」は忌むべきことでも悪いことでもない。霊にとって肉体の衣服を脱ぐ通過点に過ぎない(できれば霊格の向上を果たした上での自然死が望ましいとは思いますが)。

・「神の愛」は摂理、言い換えると因果の法則を通してしか表現されない。霊訓には「神とは法則です」と繰り返し出てきます。みなさんの中に情愛にあふれたキリストや釈迦のような神様のイメージがあるとしたら、地上にはずいぶん神様から見放されたことが多いと感じるでしょう。しかし、そこにもちゃんと神の摂理が働いているのです。摂理を通して導きが与えられているからです。

 以上の前提に立った上で、人が不条理と感じてしまうことの背景をさぐると・・・

・真理に対する無知や間違った価値観(その大元は物質主義と利己主義)から、摂理に背く行動が積み重なり、悲惨な結果につながった。

・今生でそのような摂理に背く行動がなかったとしても、過去世で行っており、その結果(カルマ)を今生で清算しているのが、今生のことしかわからない私たちには不条理に見える。

 ここで注意すべきは、地上において悪い結果につながる原因を作った人と、その結果を被る人とは必ずしも一致しない、ということです。
 原因を作って平気な人はカルマを抱えることになります。餓死や虐待で亡くなっていく子供たちには、自らのカルマの清算である場合と、その生と死を通して、地上に影響力を働かせるために高級霊が関わっている場合があります。
 確かに子供たちの苦しみや死は痛ましく打ちひしがれてしまいますが、悲しんでばかりでは状況は改善しません。
 霊的な観点からすれば霊的真理の普及こそが、これらの悲劇をなくしていくための唯一の方法なのです。                                
                                        takao