私たちは神の一部をいただいており、それを活かすことで最高の生き
方ができます。ただしそこにはルールがあります。神の代理人として生
きるのですから、それにふさわしい歩みをしなければならないはずで
す。
以前、ゆるぎない自信をもつために、霊格の向上に価値の土台を据
える、と書きました。私たちにはそれぞれに霊格が備わっていますが、
大事なことは、現状で満足せず常に神の高みを目指して霊性を鍛えて
いかねばならない、ということです。
こう書くと、私たちがいただいている分霊・真我は神の一部だから、そ
れをわざわざ鍛える、というのはおかしいと思われるかもしれません。
事実、分霊自体は完璧で純粋でこれ以上何もいじることのできないも
のです。
しかし私たち人間には、欲望や自己中心主義や世俗的な価値観な
ど、肉体的存在であるがゆえに避けられない悪しき思いや間違った思
い込みがあり、さらにそういったものに対して執着することで、分霊
・真我の輝きが閉じ込められてしまうのです。
ですから、霊性を鍛えるということは、分霊・真我にまとわりつく欲
望や思い込みを消し去って、その本来の性質(神性)を顕現していくこ
とに他なりません。
神の定めたルールとは、あらゆる機会をとおして、霊格の向上に努
める、ということなのです。
takao
方ができます。ただしそこにはルールがあります。神の代理人として生
きるのですから、それにふさわしい歩みをしなければならないはずで
す。
以前、ゆるぎない自信をもつために、霊格の向上に価値の土台を据
える、と書きました。私たちにはそれぞれに霊格が備わっていますが、
大事なことは、現状で満足せず常に神の高みを目指して霊性を鍛えて
いかねばならない、ということです。
こう書くと、私たちがいただいている分霊・真我は神の一部だから、そ
れをわざわざ鍛える、というのはおかしいと思われるかもしれません。
事実、分霊自体は完璧で純粋でこれ以上何もいじることのできないも
のです。
しかし私たち人間には、欲望や自己中心主義や世俗的な価値観な
ど、肉体的存在であるがゆえに避けられない悪しき思いや間違った思
い込みがあり、さらにそういったものに対して執着することで、分霊
・真我の輝きが閉じ込められてしまうのです。
ですから、霊性を鍛えるということは、分霊・真我にまとわりつく欲
望や思い込みを消し去って、その本来の性質(神性)を顕現していくこ
とに他なりません。
神の定めたルールとは、あらゆる機会をとおして、霊格の向上に努
める、ということなのです。
takao