ブルース・リーは「水になれ」と言いましたが、なかなかそんなに素直になれるものではありません。なぜかと考えると、水になるということは自分が何者でもなくなってしまうと思うからではないでしょうか。人生が有限だと考えると余計にそんなことを考えられなくなてしまいます。

 世の中には自分が何者かであることを証明するためかどうか、自分の信じる正しさを声高に叫ぶ人も多いです。それをなるほど正しいと思い信じることもありますが、そこでとどまって思考停止しないようにしましょう。どんなにすばらしい「教え」や「主張」に思えてもそれに拘って思考停止してしまうと真理とのひずみが生じてきます。真理はどこまでも深く極めきることはできません。

 真理(の教え)に対していつも子どものように、水のように素直で心開かれていたいものです。

「私は何々の教えという名称には関心がありません。私が関心をもつのは真理のみです。間違った教えでもそれが何らかの救いになった人がいるのだからとか、あえてその間違いを指摘することは混乱を巻き起こすからとかの理由で存続させるべきであるとおっしゃっても、私には聞こえません。一方にはその間違った教えによって傷ついた人、無知の牢に閉じ込められている人、永遠の苦悶と断罪の脅迫によって悲惨な生活を強いられている人が無数にいるからです。」

「あなたは過去からあなたにとって筋が通っていると思えるもの、真実と思えるもの、役に立つと思えるもの、心を鼓舞し満足を与えてくれるものを選び出す権利があります。と同時に、非道徳的で不合理でしっくりこず、役に立ちそうにないものを拒否する権利もあります。ただしその際に、子供のように純真になりきって、単純な真理を素直に見て素直に受け入れられるようでないといけません。」(「シルバーバーチの霊訓9」10章)


 いつもブログを書くにあたって背後霊団の伝えんとすることは何なのか、心を澄ましていたいと思います。

 さて霊的知識は物的知識、暗記して記憶にとどめるような知識とは毛色が違って、脳みそに一本シワを増やすようなそんな増し加え方をするものではありません。むしろ知識としてはすでに知っていることをより深く心に刻むこと、理解と体現の程度を深めることが霊的知識の獲得なのです。その過程を通じ霊性が顕現していきます。霊性が顕現することがより深く知識を獲得したことの証となるのです。

「いかなる知識にも、それをいかに活用するかについての責任が付加されます。それはあなたへの一つの信託がなされたということです。その信頼を裏切ってはなりません。あなたがその知識を得るにふさわしい人間であったと同時にこれから先あなたに受け入れる用意ができた時に授けられる次の段階の知識に対しても十分な資格があることを、あなた自身の生活の中で身を持って示さなくてはいけません。

 あなたに受け入れる用意が整ったとき、いったん獲得したら決して色褪せることもなく失われることもない、豊かな霊性が賦与されます。それはあなた自らの努力によって勝ち取るべき報奨です。自らの魂の発達であり、自らの性格の強化です。そうやってあなたは、その段階での光明の中に生きるにふさわしい存在となっていくのです。」(「シルバーバーチの霊訓9」9️⃣章)

 身体維持のための欲望があるように魂にも喜びと活動を求める欲求があります。前者は放っておいても生じてくるのでわかりやすいですが、後者はなかなかこれとはっきり見つけ出すのがむずかしく、何かしたいけれどその何かがわからないということが多いと思います。それでも自分の好きなことがヒントになっているとは思いますが。 

 希望と情熱を持って生きていくには、魂の欲求の対象をとらえその目的へ向かって進んでいく必要があります。それができないと苛立ちがつのって手近な刺激を求め、それに依存するようになってしまいます。

 魂の欲求を知るには魂つまり霊的な自我、実在としての自我との接触が必要です。それは見た目や置かれた状況にしばられない大いなる自我です。

「なぜ多くの若者が麻薬に走るかということですが、その答えは簡単です。彼らは希望を失っているのです。欲求不満があるのです。悲観的になり、自分の力では何の希望も見いだせずにいるのです。実在との接触が欠けているのです。霊的な道を見失い、といって物質万能主義に何一つ心の支えになるものを見いだせないのです。そこで彼らは刺激を求めて麻薬に手を出すのです」(「シルバー・バーチの霊訓9」9️⃣章)