「人のために役立っていると思う時、私たちは心の奥に安らぎと静けさと満足感を覚えます。宇宙の絶対的な支配力への全幅の信頼、神へ向けて一歩また一歩と近づかんとする努力の支えとなる堅忍不抜さは、人のために尽くしている中でこそ得られるのです。」

 神へ向けて近づく歩みこそ私たちにとっての正道です。だからこそその上にいるかぎり安らぎと静けさと満足感が得られるのです。しかし、もしもそこから寄り道したとしても、決して迷子のまま終わらないように神との絆は断ち切られることはなく、地上にいる間も地上を去ってからも常に神とつながっています。

 さらには、一人ひとりがどうやって人のために役立ち神へ近づいていけばいいのか、いわば自分に託された才能とはいったい何か、それを教えてくれる叡智、真理、インスピレーションは、私たちが心を開いて受け入れる用意さえ整えていればいつでも受け取れるようになっています。

「われわれみずからが道具となって、地上の人間生活を豊かにし、病めるものを癒やし、喪に服するものを慰め、人生に疲れたものに力を与え、道を見失えるものに導きを与える全存在の始源からの崇高な霊力の恩恵をもたらすことができるのです。

 われわれはそのための才能を授かっているのです。それを発達させることによって、われわれが手にした掛け替えのない知識の恩恵にあずかれずにいる不幸な人たちのために活用することができます。要するに、この荘厳な霊力の流れる通路としていっそう磨きをかけ、受け入れる用意のできた人々に惜しみなく恩恵をもたらしてあげられるようになることが、われわれの大切な務めなのです。」

 ここにかかれているものこそ、真の才能であり、正道の生き方ということができます。われわれ一人ひとりに神がついておられ、それぞれにふさわしい才能が配剤されています。

(「シルバーバーチの霊訓10」3章)

「小さすぎるからということで無視されたり、見落とされたり、忘れ去られたりすることはありません。それは大霊の一部が生きとし生けるものすべてに宿っているからです。言い換えれば神がその霊性の一部を各自に吹き込んだからこそ存在しているのであり、その霊性が神とわれわれとを結びつけ、また、われわれお互いをつないでいるのです。」

 神がお認めになるのでなければ雀一羽、蜂一匹、枯葉一枚さえ地に落ちることはありません。であれば、どんなに短い人生だって、報われない孤独な人生だって(あるいはその真逆だって)神とともにあるのです。そして何より大事なのは、人生はそれっぽっちで終わりではないということです。大富豪もそうでない人も永遠という広い視野から見ればどんぐりの背比べです。

 報われないと感じる人は、決して地上限りの視野に縛られて暗い気分にならないことです。

「私たちの心の視野を常に広げ、自分が何者であり、いかなる存在であるかについての認識を増やし続けてくれる真理と叡智とインスピレーションの絶え間ない流れ、私たち一人一人に宿る霊の力、わがものとすることができるにもかかわらず、霊の豊かさと神と同胞とのつながりについて何も知らずにいる地上の人たちのために活用すべき才能を授かっていることに、私たち霊団の者は改めて感謝の意を表明せずにはいられません。」

「(大自然の法則は)霊の機構を愛の力が導き管理し常に調和を維持して、受け入れる用意のある者が霊力と叡智と真理とインスピレーションとを授かるための手段を用意しております。」

 真理と叡智とインスピレーションは絶えず流れ続けています。いつも受け入れる用意を整えさえしていれば、それにより視野はずっと広がり続け、ますます明るくなっていきます。(「シルバーバーチの霊訓10」3章)

 私たちの進化、成長のためには苦痛や困難を味わわなければならないと繰り返し説かれていて、こちらとしては辟易としてしまうのですが、その微妙な色合いやニュアンスは霊的成長度によって異なります。

「宇宙機構の中にあって神の子は、一人の例外もなく必ず何らかの役目があります。そして、それを果たそうとすると、いろいろと困難が生じます。が、それは正面から迎え撃って克服していくべき挑戦と心得るべきです。困難と障害は、霊性を発達させ進化させていく上において必要不可欠の要素なのです。」

 ここぐらいまで来ると、困難や障害はそれほど嫌なものには感じず、歯ごたえのある課題という感じです。もっとも痛々しいのは、はじめて霊性が目覚める際に訪れます。

「魂はその琴線に触れる体験を経るまでは目覚めないものです。その体験の中にあっては、あたかもこの世から希望が消え失せ、光明も導きも無くなったかに思えるものです。絶望の淵にいる思いがします。どん底に突き落とされ、もはや這い上がる可能性がないかに思える恐怖を味わいます。そこに至ってはじめて魂が目を覚ますのです。」

 しかしいったん魂が目を覚ませば、あとは霊的成長を第一に心がけている限り、確かにそれを実感するとともに、困難や障害はその克服を通じ成長を後押しする糧と思えるようになってきます。

「霊に関わるもの、あなたの永遠の財産であり唯一の不変の実在である霊に関わるものに興味を抱くようになるには、それを受け入れるだけの用意ができなくてはなりません。そこで鋼と同じように試練を受けることが必要となるのです。」

 高級霊の願っていることは私たちの成長すなわち私たちの幸福です。そのためにさらに深い真理を悟らねばなりません。そこに限界がないゆえに困難や障害も無くなることはありません。それは決していじめるためではないのであって、さらなる幸福に至るためのステップだと安心して受け止めるといいのです。

(「シルバーバーチの霊訓10」2章)