登麗君(テレサ・テン)、享年42.。
彼女の短い人生は、「内省人」と「外省人」との狭間で揺れ続けた。
内省人は台湾に元々住んでいた人。
外省人は国共内戦に破れ、1949年以降に本土から渡って来た人。
二二八事件に代表されるように、内省人と外省人の軋轢は絶えることがない。
テレサは1953年に台湾で生まれたが、外省人のくびきからは逃れられなかった。
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両親が中国本土出身の外省人だったからだ。
日本で「空港」「つぐない」「愛人」と大ヒットを連発したテレサ。
しかし台湾では国民的な支持は得られなかった。「外省人」と見られたからだ。
そんなもどかしさからか、彼女の視線は中国の民主化運動に向かう。
1989年に起きた天安門事件で、彼女の思いは戦車のキャタピラーに粉砕される。
それからパリ、タイ・チェンマイと居を移し、1995年5月8日に病気で客死した。
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彼女の墓は日本に向けて造ってある。
台湾でも中国本土でもない。三つの国・地域で揺れた彼女の心情を映すかのように。
この日の空のように僕は重い気持ちを抱えたまま、タクシー後部座席に身を沈めた。
金山の中心、金包里街に戻る。
ドライバー劉さんとの約束は450元だったが、僕は500元(1750円)を手渡す。
あれやこれや気を配ってくれた劉さんへの感謝の思いだ。
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いったん固辞した劉さんだが、僕は彼の上着のポケットに押し込む。
にこやかな表情で「謝謝(シェシェ)」と繰り返す劉さん。
手を振って見送ってくれた。
50元(175円)のチップを渡した僕は甘過ぎるのか。
劉さんの言い値が500元だったのだから、50元ならいいんじゃないの。
どっちが正解だったのか、僕は今でも決めかねている。
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金包里街ではパレードの真っ最中。
金ぴかの山車、武将(?)に扮した人々、デコトラと、次々にやってくる。
お祭り? 仏教イベント? よく分からないが、しばらく見学する。
正午を過ぎた。そろそろ野柳(イェーリュオ)に行かなくっちゃ。
海岸線に奇岩がにょきにょき。「海のカッパドキア」(僕が勝手に命名)が待っている。
もちろん路線バスで移動だ。
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僕は運転手に「野柳」と書いたメモを見せる。
「野柳に到着したら降ろしてね」と言う意思表示だ。
言葉が通じなくても、筆談でOK。
やはり同文同種はありがたい。
しかし野柳到着目前に事件は起きた。
僕のスケジュールは大幅に狂うことになったのだ。