「東洋のシンドラー」杉原千畝記念館の観光を終え、
そのままリトアニア第2の都市カウナスで1泊。
翌朝午前6時、1人だけ早起きする。

ウサギさんに迷惑かけないようノーアラーム。
1人静かに身支度を整え、ホテルを飛び出した。
どうしても訪ねたいスポットがあるのだ。

T上司ランチ漫遊

さすが北欧。
もう夜は明け、空は青い色を取り戻し始めている。
目的地へはトロリーバスが便利だ。

乗車券、運転手から買うと2リタス(60円)。キオスクだと1.7リタス(51円)。
キオスクがお得だが、早朝のせいかシャッターが降りたまま。
バスが動いてるんだから営業して欲しいなあ。

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目的地はヴィエニーベス広場の「英雄記念碑」だ
リトアニア独立のために犠牲になった兵士や市民をまつっている。
もともとはロシア帝国から独立を果たした1918年に建立。

しかし第2次大戦末のソ連再占領で破壊、撤去された。
現在の記念碑は1989年、バルト三国独立直前に再建されたものだ。
平和と鎮魂の祈りを込めて燃える聖火。再建からは一度も消えたこがない。.

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朝が早いせいか、観光客はやってこない。1人、静かに祈りを捧げる。
祈るだけで平和が実現されるとも思えないが、今は祈ることしかできない。
もどかしさを感じながら、ホテルに戻り朝飯だ。

ようやく目覚めたウサギさんFちゃんMちゃんと合流。
一路、ラトビア国境に近いシャウレイをめざす。
そこで待っているのが「十字架の丘」だ。

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さえぎるものもない大平原。視界の先に広がる光景に声を失った。
小さな丘を大小さまざまな十字架が埋め尽くしている。
いったいどれくらいあるんだろう。

ロシア帝国、ナチスドイツ、ソ連と大国に翻弄されたリトアニア。
「十字架の丘」は独立を求めて闘ったリトアニア人の非暴力の象徴だ。
ヒロシマに生を受けたものとしてとして、強いシンパシーを感じる。

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十字架の丘、お役所が管理しているわけではない。
だから誰もが自由に出入りでき、新たな十字架を捧げることができる。
外国人観光客も例外ではない。

ガイドブックを入手しようと、インフォメーションセンターへ。
各国語のガイドブックが並んでいるが、日本語バージョンは見当たらない。
たまたま在庫が切れたのか、もともと日本語バージョンはないのか。

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インフォメーションの女性に尋ねても要領を得ない。
すぐそばに売店があった。大小の十字架が並んでいる。
20センチほどの小さい十字架を購入(10リタス=300円)。

「ヒロシマ-リトアニア 連帯の証し 2012.4.5」。
持参したラッションペンで、日本語のメッセージを記した。
女性陣3人も何やら書きこんでいる。

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十字架の丘に続く平坦な一本道。
近づくにつれ、その壮絶さ、異様さが増してくる。
歴史の重さ、人々の不屈の意志が、杭のように心に差し込む。

丘の頂上に登り、4人そろって十字架を捧げる。
行動なしに平和は勝ち取れないだろう。しかし今は祈る事しかできない。
非力な我が身を鞭打ちながら、十字架の丘を後にした。

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シャウレイから一気に北上。リトアニア-ラトビア国境へ。
バルト三国がそろってユーロに加盟した今、国境はあってないようなもの。
無人の検問を抜け、一気にラトビア入りした。

あまりにあっけない国境越え。
今夜の宿があるラトビア首都リーガをめざす。
ようやく十字架の丘の呪縛がとけ、明るい会話が車中に響いた。

十字架の丘>起源ははっきりしない。1831年の「10月蜂起」が始まりと言う説が有力だ。ロシア帝国の統治に反発、独立を求めて立ちあがったもの。蜂起はロシア帝国の武力に鎮圧され、多数の人々が虐殺された。遺族たちは犠牲者の鎮魂と独立げの不屈の意志を込めて、十字架を立てた。その後も蜂起、鎮圧が繰り返され、その度に十字架の数が増えていった。十字架の丘は抑圧された民族の象徴となり、多くの巡礼者を集めるようになった。旧ソ連時代、秘密警察(KGB)は何度もブルドーザーで破壊したが、人々は新たな十字架を立て、抵抗の意志を表した。

★有害無益のバルト三国クイズ第5回

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カウナスの旧市街に古い馬車がありました。
御者台には正装したおじさん。
さて、この人の職業は?

■第3回解答 カジノでした。もちろん入館していません。