男は帰り際 

「何時に終わるの?」と、ちひろに聞いた

「23時…です」

戸惑いながら小さな声で答えると、彼は黙って頷いた

勤務を終えたちひろが裏口から出て、狭い路地の角を曲がろうとした時

「お疲れさま」

暗闇の中に差し出された大きな手を、彼女は迷うことなく握りしめた

大通りで待たせていたタクシーに乗り込むと、数分で駅前のシティホテルに到着する

男は慣れた様子でフロントへ行きカードキーを受け取ると、「おいで」と言って優しくちひろの肩を抱く

エレベーターに乗り込むと、ドアが閉まるなり貪るような激しいキスが降ってきた

熱い手のひらがちひろの頬を包み込み、彼女の細い指先が濃紺のスーツに深いシワを刻み込む

豪華な室内に入ったあとも口づけは続き、むせかえるような甘い香りに頭も身体も痺れていく

ちひろの身体は今にも膝から崩れ落ちそうだった

「シャワー、浴びようか」

呼吸をするため濡れた唇が離れた刹那、男が掠れた声でささやいた

「…はい」

ちひろはバーにいた時から、彼の左手の薬指に光る指輪の存在に気づいていた

それでも、どうしても止められない

ひと月前に別れた同級生としか経験がなく、セックスはあまり好きではないのに

会ったばかりの男に触れられただけで、体中が燃えるような感覚に襲われた

忙しなく衣服を剥ぎ取られ、促されるままバスルームへと足を踏み入れる

濡れた身体をくまなく愛撫する指と唇に耐えきれず、ちひろはあられもない声を上げ続けた

ベッドに場所を移してからも

体位を変え奥深くまで貫かれる度、シーツを握りしめ快感の渦に呑まれて果てた

「大丈夫?」

どれくらい時間が経ったのだろう

水の入った冷たいグラスが頬に触れ、目を開けると男が心配そうな顔で見つめている

「俺は朝までここにいるけど、君も泊まっていかないか」

ちひろは部屋の中を見渡して、ようやく自分が置かれている状況を思い出す

「い、いえ!午前の講義があるので帰ります」

ソファの上に置かれていた服を手に取り、慌てて身支度を整える

「すみません、失礼します」

一刻も早く外に出ようと、ドアに手をかけた時

「待って、これ」

バスローブ姿の男が近寄り、数枚の紙幣を差し出すと

「えっ…」

ちひろは一瞬で表情を曇らせた



つづく↓