バーの扉を押すと、少しだけひんやりした空気とカクテルの甘い香りが頬をなでた
まだ時間が早いせいか、店内は静かでカウンターの奥にいたバーテンダーが軽く会釈をして微笑んだ
ちひろは端の席に座るとバッグから鏡を取り出し、そっとメイクを確認する
その一瞬でさえ、鏡の向こうの自分はどこかそわそわして見える
けれど
「いらっしゃいませ」
水上周はいつもと変わらずポーカーフェイスで現れると、無駄のない動作でカウンターに着く
濃紺のスーツがやけによそよそしく見えるのは気のせいだろうか
「おまたせ」低い声に、胸の奥がくすぐられる
「…会いたかった」ちひろがわずかに上げた声に、周は一瞬だけ口の端を緩めた
ふたりの時間が、また始まる
こうしてカウンターに並んでいるだけで、ちひろの身体は水上を激しく求めるが、それはまた同時にありえないほどの罪悪感をもたらした
彼の左手の薬指には、今夜も小さな光が輝いている
「指輪、必ずしてるのね」
冗談めかしながら小さな棘を投げかけると
「…これがないと、落ち着かなくてさ」
照れくさそうに微笑む周に、ちひろはそっとため息をつき
今だけは外して欲しい、という言葉をカクテルとともに飲み干した
