
港山城跡
こんにちは、よっこん日記のよっこんです。
今回は、前回のブログに引き続き、少し遠くまで散策し、港山城跡に行ってきました。
観月山の麓に三津浜湾があり、ここに石崎船渠造船所跡があります。
上の写真で見えているのは、明治末期に石崎船渠造船所によって造られた、石造りのドライドックです。
水門を閉めて排水すれば、水のない状態で船舶を点検・修理できます。
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当初のものは、もっと自然石を積んだ形に近かったようで、
大正期、もしくは昭和初期に改良を施されて、現在のような形になったのではないかと言われている。
その後も部分的な改造が行われ、水門扉が木製から鉄製になり、一部コンクリートで補修されているところもあるが、
大部分が石積みのままで残されている。
(いよぎん地域経済研究センター より)------------
さらに進んでいくと、標識がありました。
標識の右方向、伊予鉄港山駅方向に進みます。
「三津の渡し」の近くに、お堂があります。
「子育て地蔵」
赤と白に塗られた、目立つお地蔵様です。
お堂の脇に表示があります。
港山城跡の説明が書いてありました。
建武年間(1334年~1336年)に河野通盛が、海の守りとして築城したそうです。
表示の脇に城跡への山道があります。
順路に従って登っていきます。
途中に、休憩スペース?がありました。
さらに山道を登っていきます。
山頂に到着しました。この開けたスペースが港山城跡です。
海を見渡せる眺望が素敵です。
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港山城は海の守りとして、海域の見通しが良いこの港山に築城されたと考えられている。
城主であった河野通春が没した100年後、豊臣秀吉の四国征伐で滅び、廃城となった。
平成28年(2016)3月に登山道が整備され、およそ半世紀ぶりに港山に登れるようになった。
山頂は、ビュースポットとして三津浜地区や興居島を含む島々からなる景色を一望できる。
(松山市公式観光WEBサイト より引用)------
右側には、梅津寺海岸の砂浜が見えます。
景色の表示がありました。
表示と同じ景色の写真を撮りました。
これだけ、周囲が見渡せれば、海の守りとして重要な役割を果たしたことも納得できます。
山を下りて撮影。
伊予鉄港山駅の後ろに見えるのが、港山城跡のある山。
今回の散策で、地域の歴史や建造物に興味が高まりました。
また、いろいろと散策を続けていこうと思います。
それでは、良い一日を。