8/1から始まったはこだて港まつり5日目。
今日で港まつり最終日。
わたしはと言うと…8/1〜8/3まで怒涛のお祭りイベントをなんとか倒れずに無事終了。
今年は浴衣着付け+ヘアセットをまえもって予約していたので、気持ちも時間にもストレスなく、お客様との待ち合わせ時間にも行けた。
私の怒涛のイベント毎日を過ごしたままの流れで昨日はイベント以上の大切な節目の日でした。
去年亡くなった義父のお墓が完成。8/4、お寺さんに預かっていた義父の納骨日。
愛ちゃん…やっぱりお墓を建てたい。
お父さんを土に帰してあげたいの…。
義母からうけた1年まえ。
あとのことを考えたらお墓は要らない。義父の葬儀の時に主人が義母に言った。一度は主人の言葉を受け入れたが、やっぱりお墓を建てたいと私に相談してきた。
いいんぢゃない。あとのことは、残った私達が何とかするから、お母さんの好きにすればいい。と二言返事でかえした私。
いいんぢゃない。好きにすればいい。適当に返したワケでも、関わりたくないワケでもない。ただただ義母の気持ちに添いたかった…大切にしたかった。それによってどちらに転がっても、私はあなたの味方でどんな状況でも受け止めやっていくよ。の私は私なりの覚悟と責任をもつ言葉。
お母さんがお墓を建てたいんだって。お母さんの好きなようにさせてあげたら?後のことは、その時になった時に考えればいいし、残ったものでなんとかするしかないんだから好きにさせてあげようよ。と主人に話をした。
それから1年間、義母は一生懸命働き生活をしながら、お墓のお金を貯めお墓を建てた。
他から比べたらこじんまりしているかもしれない。自分達にチカラがあったらもっと立派なお墓を建ててあげれたかもしれない…色々思うと色んな感情がわきあがる。でもそんなことではない。凄く凄く明るくて、凄く居心地が良い義父にピッタリのお墓になった。
母さん頑張ったなぁ。
いや最高だ、居心地いいなぁ。
良いも悪いも素直に言う義父。義母に感謝の気持ちを言っている姿が目に浮かぶ。
おかしなものだ。義母や主人、私に子供達も入るであろうお墓なのに、義父を思い、これなら義父っぽいねとあーだこーだ考え決めてきたお墓。これがまたいいのかもしれないな。
お寺さんからお骨を移す時、助手席で私がお骨を抱えることとなる。主人からお骨を持ったときのずっしり感…義父の身体の重みとあたたかさを感じた。
車の乗り降りの介助、ベッドから車椅子への移乗、生活すべての5年間の介護。義父の身体に触れ、体温や身体の重みを感じていた私は、お骨を持ったときにしっかりしっかり義父がいる事を感じた。
お墓までの道のり、しっかり義父を抱え、何げない家族の会話を聴きながら、外をみて季節を感じ義父もこうやって家族の会話を聴きながら過ごしていたのかなぁ…。
またいつか誰かのお骨を抱え、ここを通るときがくる。はたまた、私が抱えられ、ここを通るときの事を色々考えたとき、いつか訪れる別れ。いまをしっかり大切に生きよう。と改めて思う。
家族、人との別れは必ず訪れる。誰もが通る道…。だけど決して慣れることはないだろう。
いつまでも一緒にはいれないんだよね。年を重ね、人との別れを重ね…今年も一緒に過ごせて良かったねと自然に言葉が出て来るんだろう。
だからこそ出展しようと思ったコチラ
はこだて国際民族芸術祭