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  ​共感出来ていないのは誰?

 発達障害、特に自閉スペクトラムの
病態の表現として
「共感性が乏しい」と表現されることがある。
じゃあ、子どもたち3人と過ごしていると
それを感じるかというと感じない。
割と他社の機嫌は気にしてはいる。
読み方が変だったり、
読んだ上での解釈が変だったり
することはあるけれど。

一方で、確率的にはおそらく
相対的に共感性に優れているであろう
定型であるはずの教師との話し合いでは
非常に苦労する。

「一般的には簡単・苦もなく出来る〇〇が、
この子は出来ません(or難しい)」が、
親や子からではまず通じない。
たとえ、明らかに学校生活で
観察出来るでエピソードを提示しても。
WISCなどの書類を持ってこないと通じない。

書類を持ってきて、やっと
「〇〇が出来ない」という前提を
ある程度共有出来たとして
話を進めようとしても実際には進まない。
「『自分が当然に出来る〇〇』が
出来ない人にどうしていいか分からない」
と言われる。

なので、色々な教科書を読み、
模範とされる対応例を提示する。
それでも話は進まない。
「こんなことをする余裕と予算が
現場にはない」と言われる。
確かに教師の生活を見ていても
模範通りの対応は難しいだろうと思い、
効果の高そうな一部のみだけでも頼むと
「持ち帰って相談します」と言われて
後日断られるか、
変な方向の現実策を提示される。
困っていることを共有したはずなのに、
全く相手が理解出来ていないことに気付く。

支援者や、場合よっては
医療従事者でも同じことになることがある。
けれど、その人たちの言動は
「共感性に乏しい」とは言われない。

自分たちの強みや対応策、
理解しやすい説明を分析し
自分でプレゼンする必要もない。
しないことが無責任・おかしいと
思われることもない。
自分から見たら
「共感性に問題がある」のは
明らかにこの人たちなのに。

逆に、話が何の抵抗もなく
出来る人もいる。
何なら先回りして、
一緒に考えてくれる人もいる。
実際に、その人が出来る・出来ないに
関係なく相手の苦難が不要だと思える人が。

でも、その人たちは多くないし、
おそらく素質があっても
「環境の文化・慣習」には負けてしまう。
「こんな対応が必要な子初めてです」の
言葉を自分側で咀嚼し、
「そうか、自分はこういう子を
無視していたんだ」
と分析出来る人の絶対数はまだ多くない。


 

 
 
 

 

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