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  自分も多分自覚なくしている

多分、自分自身も
色々な属性に対して
差別的な思考はしていると思います。
個人の想像力は限界があるので、
普通に生きている限り
『他人を誤解や偏見に基づき、
差別的に扱ってしまう』
のは、避けようがないと思っています。

差別をしてはいけないが
目標になっているのは、
人間はただ生きているだけで
当たり前に他人を
差別してしまう可能性があるので、
『気をつけつつ、
自分の行動を反省・修正していこう』
という目標であって、
何かを差別しているとの指摘に
自分が差別するはずはないと
拒絶する必要は別にないと思います。

そもそもの出所が善意でも、
相手にとっては差別になることも
別に珍しくないし、
それを誰かに指摘されたところで
善意の存在は否定されていません。
多くの場合は、あくまで
扱い・対応を変えてほしいという
申し出なので。

また、第3者から見たら
差別的に見えるけれど、
当事者たちには分かる
事情・追加情報があって
実は違うなどもありえます。

考え方はその時代の影響を強く受けます。
数十年遡るだけでも、
例えば「障害や肌の色で
バスに乗れなかった」訳で、
しかも、その時代の大多数の人は、
差別される側も含め
違和感をあまり持たず生活出来た訳です。

人間の感覚的な倫理観は
限界があり、
都度意見を聞いてみたり、
修正したりすればいいです。

しかも、矢印が
色々な方向に向かうのも当たり前で、
強者で多数派の側が
弱者で少数派の側から
不当に扱われる場合もあるでしょう。

結局は、お互いの立場の
予想と実情には常にズレがあるので、
対話が必要で、
その為のシステム構築を
しておくのが良いと思っています。

あと、権利の主張の
ぶつかり合いみたいになって、
相容れにくい場合もあり得ますね。
チックや独語がある人と、
人の声が苦手な人は、
一緒の場にいると
どちらかにストレスが
かかりやすくなります。
一緒で上手くやる方法だけではなく、
離れられる自由みたいなのが
必要な場合もありますね。

 
 
 
 

 

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