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  映画館で車椅子の方から希望があったら

車椅子使用者にも色々理由があって、
短距離なら自力で歩ける人から
全く動けない人まで様々です。
車椅子にも種類があって、
重さや強度なども様々です。

前も書きましたが、
『障害のある人と
付き合い方が上手い人』は
知識関係なくいて、
共通点は「相手への疑問」から始まる事。

何かの希望などがあれば、
「○○までは、出来ると思う。
そこからは、どんな助けが必要か?
あなたは何が出来るか?
自分はこういう事が出来るけれど、
支援すれば出来そうか?」
などを質問します。

障害者差別解消法の理念自体も
前に投稿しましたが、
対話の後に難しいと判断したら
断ってもいいんです。

下肢完全麻痺でも上肢の筋力で
自力移動可能な人もいて、
そういう人なら
「映画を自分の席で見たい要望
=車椅子を近くに置きたい。
ちょっと目立つ移動になるけれど、
這って移動したい。」とかになる訳です。
じゃあ、これは我儘でしょうか?
我儘のラインは?
対応にかかるコストが
大きすぎるラインは?
多分誰にもネット越しの情報では
引けないです。

提供者側でも、従業員の数や、
職場の状況などによって、
出来ることは変わるし、
要求する側も能力や体格など変わるので。
だから、
「聞いてみないとお互いの
要求や能力、出来る事が分からない」
という前提を共有できる社会
+根本的に困らない構造の
ブレークスルー
(極端に言えばスマートな
アシストスーツみたいなので
行動出来たら車椅子が不要になる)
が自分の希望です。

コストや安全性の議論で
どんどん語っている人いますが、
障害という同じ属性でも色々な人がいて、
支援というのも幅もレベルも
色々ですから、
実情を色々知りたくなりませんか?

「障害がない人が障害の実情を
色々知っている」社会になり、
構造のデザインが変われば、
そもそも障害者の実数が減ります。
今は障害と扱われている人の中に、
殆ど自立だけど、
構造が合わなくて
支援が必要になる人がいるので。
そうなれば社会のコストは減ります。

「詳しくお互いに会話しないと
対応が危険か?
対応したらコストが増えるか?
すら分からなくない?
だから、『対話』の機会は
必要じゃないかな?
利用者側が見落とした大変さが
あるかもしれないし、
逆に提供者側にとっては
ほぼ労力0だけど偏見で
怖がっているだけも有り得るから」
が言いたいことです。

あと多分、春から民間も
合理的配慮が義務になる事で、
「障害者が有利になる」と
思われているのかな?
なりませんよ。
既に義務の行政でそうなってないし、
何より合理的の範囲は人により違うから
多数決で決めるしかないから、
「健常者がここまでなら出来る」
と思うラインより不利にはなりません。

 
 
 
 

 

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