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  意図するところが伝わりにくい

子ども、中でも神経発達症(発達障害)の子を

「怒ってはいけない」という

フレーズ自体は少し広がった。

では、全て上手くいっているかというと

そうでもない。


実情として、歪んでしまっていると

感じる点を列挙する。

①大人が介入、修正すべき事態で、

他に選択肢がない

→怒る以外で子どもの言動に

介入することが思いつかない

or「優しく諭す」1個のみが多く、

思いついたことが無効であった場合に、

次の手がなくなる。


②特定の子への関わりを

減らす事に繋がりやすい。

→①の派生で、

「怒らない」=「注意しない」みたいな

解釈をする人が結構いて、

扱いが難しい子には

関わらないというのを

公言してしまう人も結構いる。


③子ども側が同じような

勘違いしてしまうこともある。

→①、②の思い込みがある大人からの意見で、

似たような意見を子ども側が持ち、

『怒られることを必要とする』

上下関係に陥ることがある。


他にもありそう。

本来の意味としては、

「『感情的に、大声』では

伝えないようにする。

理由は、本人の理解・記憶を

邪魔してしまい、

お互いに損をするから。」

程度のことだけれど、

そもそも短期的に、

大人からの視点だけで評価するなら、

「怒鳴ることで人を動かすと

効率がいい(と感じる)」

大人が少なくないから、

それを禁止されると、

身動きが取れなくなるのかもしれない。


確かに『諭されて理解出来た』経験は

自分が思い返してみても少ない。

諭されて分かる程度のことは、

そもそもしないから。


代替策というか、理想的な対応は

「臨機応変に」としか言いにくいから、

広まりにくいし、

聞いても自分の行動として実践しにくい。


自分なりに実践してみても、

別に一瞬で子どもが変わるどころか、

聞いてもいないこともあるから、

「怒らない」のは失敗だと感じやすい。


多分多くの人の予想より、

『理想的な大人の対応』は

明るく・優しくではなく、淡々としているし、

放置ではなく修正すべきことは口に出すし、

何より時間はかなりかかることが

多いのだろう。


直したい日常生活の行動を

相談出来る窓口があるといい。

相談単体で見ると、

児童精神科外来や、カウンセリングが

近いのだろうけど、

生活への介入の度合いが薄すぎて、

斜め上のアドバイスをもらったり、

間隔が空きすぎて、

臨機応変さが失われる。


 

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