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  自分の分析を楽しむのは難しい

我が子3人と接している時に、

自分自身も、教師も、支援者も、

「本人たちの気持ち・考え」

を聞く時が多い。


元々、本人の中でも

言語化出来ていないからか、

聞かれるのは結構苦痛な様子。

特に幼い時は。

だからこそかもしれないが、

「1文作って終わり」

みたいな変な癖がついた。

その文の論理が成り立っていなくても、

そもそも本当の自分の

気持ちではなくても、

『答えたら終われるから答えを作る』

みたいな。

解答用紙を1やaで埋めるみたいな作業。

当然お互いにとって良くないが、

いざ『考える』ということを

子どもに伝えるのは

難しいというか取っ掛かりがない。


実際に教師や支援者が

この問題に向き合ってくれたことはなかった。

親が考え続けるしかない。


「親から見て特定の感情や考えが

予想出来る時は、親側が代弁する」

をしてみると、

一応その答えで合っているとは

言うけれど、全く違う場面でも

「以前上手くいった解答例」

みたいにそのフレーズが出てくる。


本人達の中で、

概念を理解する方向には進まず、

とりあえずこう言っとけば

質問が終わるみたいな

方向になってしまうこともあった。

本人たちの成長に伴って、

本人達の自分への解像度が上がり、

『自分の気持ちが

全く分かっていなさそう』

な場面は少しずつ減ってはきたが

ゼロにはなっていない。


大人でも自分の気持ちや、行動の理由を

言葉にできない人は沢山いるし、

子ども時代に、

特に能力に凸凹が目立つような

発達障害の子が

「自分の気持ちを聞かれる」

というのは負担だし

変な癖がつきやすいというのは

仕方ないことだと振り返ってみて感じる。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

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