02-01 FIFA、ISO、そしてIOCの「公用語」
FIFA (Fédération Internationale de Football Association、International Federation of Association Football、Internationaler Verband des Association Football、Federación Internacional de Fútbol Asociaciónの
「公用語」は仏・英・独・西語であり、
ISO (International Organization for Standardization、Organisation internationale de normalisation、Международная организация по стандартизации
の「公用語」は英・仏・露であり
一番少ないのは
IOC(Comité international olympique、CIO、International Olympic Committee、IOC
の「公用語」は仏・英語だ。
それぞれの公用語の数・種類、そして順位ならびに略称が何語に基づいているか、そもそも「公用語」とは何か、といった考察はいずれ折があれば考えたいと思う。
ここでは、オリンポスの「神々」ならぬ、オルンピアード、オリンピックの「国々」を概観し、「コード」の妙に触れたいと思う。そのオリンピックも、
②1896年の世紀末、第1回のアテネ・オリンピックをもって「近代オリンピック」は始められたが、「アナザー」オリンピックも様々にあった。
③元々、これらのオリンピックが模したという「古代」オリンピック、それも紀元前8世紀から394年を最後に、千年以上、293回も続いたオリンピック、さらには、その「古代」オリンピックもまた「復活」されたものだという元祖「前古代」オリンピックだ。
④何故、19世紀末にオリンピックが「近代」オリンピックとして、しかも万博に付き添って、或いは、ギリシアの「古代」オリンピックになぞられて「復活」したものだ。
02-02 IOCの国コードとはNOC国内委員会の国コード
さて、IOCの「国」コードと、ここで簡単に記しているものは、国際オリンピック委員会を成り立たせている、各国の「国内委員会NOC」の「コード」だ。そういった意味の「国」だ。
日本では現在は、「公益財団法人日本オリンピック委員会」だが、以前は「大日本體育協会」の一委員会として設置され、独立した法人ではなかったように、NOCの形態、法的・社会的位置づけは、国によって、時代によって、違う然は然り乍ら、それぞれときのIOCによって「承認」されているものだ。
「国」としてどの程度、認められているか、認められてきたか、あるいは、人材、財力があったか、あるかによって、存在が危ういものや、維持できないもの等々、国家の存亡と不即不離ながら、様々に「ずれて」存在する「委員会」があり、そもそもない「国」も少なくない。
とりあえずは選手が所属する「国」のコードと緩く考えて記したい。
(何よりも、そもそもオリンピックは「公式」には「国」ではなく「個人」として参加することになっているし、初期の頃は、異なる「国」の「所属」や「国籍」の選手が混合して形成されたチームもあったくらいだ)
02-03 上部組織も、下部組織も様々なNOC
NOC自体も、その成り立ちからしても、現在的にも、実質的に組織のグループや傘・アンブレラ組織であることが多く、地方や年齢、種別、プロ/アマといった組織によって「支えられて」いて、その形態・構成は国よって一様ではない。さらに、これらの「傘下」組織もまたそれぞれに「全国的」な連合体になっているのが大半だ。
02-04 しかも、NOCの下部・傘下組織がIOC以外の下部・傘下組織でもある
また、各国のこうした「全国的」な各スポーツ組織自体も、多くの場合、FIFAや国際陸連などにみられるような、IOCに肩を並べるほど力をもったものを含めて、全世界や大陸規模の国際的な連合組織をもっている。
因みにIOCは、2019年2月現在、委員は96名。法人ではなく、自然人、しかも各国のNOCという法人の代表でもありません人達です。その他に名誉委員長1名、HONORARY MEMBERS名誉委員45名、それから米国のキッシンジャーもその一人であるHONOUR MEMBERS栄誉委員(拙訳)2名。半分は元スポーツ選手であったりするが、以前は欧州の王侯貴族をはじめ、経歴が詳らかになっていない人達が多いといわれた。
02-05 スポーツ種目、スポーツ選手の「所属」
近年は下記の「難民」チームに代表されるように、変化が見られるが、各スポーツ種目、そして、各スポーツ選手は様々な組織に「所属」、「籍」をおいていることになる。例えば、ドーピング問題や、若年層のオリンピックへの参加を巡って、それぞれの上部団体が微妙に食い違いをみせることがある。
でも、こうしたNOCによって認められたり、「バックアップ」されたり、「裏書き」されたりする「参加者」だけではオリンピックは成り立ってきていない。
02-06 2016年、はじめて登場した「ROT」
リオで暖かい拍手で迎えられた、Refugee Olympic Team、難民オリンピック・チームの「国」コードだ。最初はTeam of Refugee Olympic Athletesからとって、ROAのコード名でよばれ、オリンピック旗の下に参加した、10名の選手団のことだ。
02-07 非「国コード」と国際QUANGOとしてのIOC国際オリンピック委員会
Independent Olympic Participants (1992)、Individual Olympic Athletes (2000)、Independent Olympic Athletes (2012)と、これまで「独立/個人・オリンピック・参加者/アスリート」とよばれてきた通常の「国」コードをもたない選手の「国」コードのうちの一つだ。
この「チーム」が、2020年の東京オリンピックにも「継承」されることがIOCの2018年10月9日の集まりで発表された。
IOCの国際QUANGOとしての面目躍如たるこの声明は、残念ながら、主催国である日本にはあまり報道されていないこともあり、幾分長いが、とりあえず、全文英文原文とオリンピック憲章の冒頭の英和文を紹介し、今回の注記を擱筆したい。
なお、オリンピック憲章については、英原文はIOCの発行する「OLYMPIC CHARTER」冊子(2018/10/09)のHPより採取し、日本語訳はNOCの一つである日本のNOC、JOCのHP2019年2月現在でみつけた最新の「オリンピック憲章 Olympic Charter 2016年版・英和対訳(2016年8月2日から有効)」等を参考にした。
2016年までのJOCのHPにもあるように、「オリンピック憲章」はその後も毎年のように改訂されている。ただし、冒頭の「Foreward、Premable」の引用部分に関しては2016版と2018版に変更はないようだ。
「オリンピック憲章」の改定は、発足以来繰り返し、変更されており、かつては議論されていた「アマチュアリズム」や「コマーシャリズム」への転換点、最近話題の「ドーピング」や「収賄」などに関わる方針変更の根本にあるものなので、この経過だけを追っても、無数の論文が書ける内容だ。
IOC CREATES REFUGEE OLYMPIC TEAM TOKYO 2020
THERE WILL BE A REFUGEE OLYMPIC TEAM AT THE OLYMPIC GAMES TOKYO 2020. THIS DECISION WAS TAKEN TODAY BY THE MEMBERSHIP OF THE INTERNATIONAL OLYMPIC COMMITTEE (IOC) AT THE 133RD IOC SESSION IN BUENOS AIRES. THE INITIATIVE IS A CONTINUATION OF THE IOC’S COMMITMENT TO PLAY ITS PART IN ADDRESSING THE GLOBAL REFUGEE CRISIS AND ANOTHER OPPORTUNITY TO CONTINUE TO CONVEY THE MESSAGE OF SOLIDARITY AND HOPE TO MILLIONS OF REFUGEE AND INTERNALLY DISPLACED ATHLETES AROUND THE WORLD.
The IOC Session has mandated Olympic Solidarity to establish the conditions for participation and define the identification and selection process of the team. These elements will be carried out in close collaboration with the National Olympic Committees, the International Sport Federations, the Organising Committee Tokyo 2020 and the UN Refugee Agency, UNHCR.
The announcement of the Refugee Olympic Team Tokyo 2020 members will be made in 2020.
IOC President Thomas Bach said: “The IOC Session has once again endorsed this initiative. In an ideal world, we would not need to have a Refugee Team at the Olympic Games. But, unfortunately, the reasons why we first created a Refugee Olympic Team before the Olympic Games Rio 2016 continue to persist. We will do our utmost to welcome refugee athletes and give them a home and a flag in the Olympic Village in Tokyo with all the Olympic athletes from 206 National Olympic Committees. This is the continuation of an exciting, human and Olympic journey, and a reminder to refugees that they are not forgotten.”
UNHCR High Commissioner Filippo Grandi commended the decision: “In 2016, the Rio refugee team captured the imagination of people around the world and showed the human side of the global refugee crisis through sport. I’m delighted that this tradition is to continue in Tokyo. Giving these exceptional young people the opportunity to compete at the very highest levels is admirable.”
Back in 2015, the first-ever Refugee Olympic Team was formed by the IOC. Ten athletes were chosen to represent people who are too often forgotten. It was a historic moment in Brazil when a team consisting of refugees participated for the first time ever in the Olympic Games at Rio 2016. As they marched in the Opening Ceremony, two swimmers, two judokas, a marathon runner and five middle-distance runners who originally hailed from Ethiopia, South Sudan, Syria and the Democratic Republic of the Congo became instant role models for the 68.5 million or so refugees and internally displaced people, and true global ambassadors for the values of Olympism.
Since the Olympic Games, the IOC has continued to support these 10 Refugee Olympians, as well as a number of other refugee athletes across five continents via Olympic Solidarity’s Refugee Athlete Support Programme. Through scholarships, which come in the form of monthly training grants and fixed competition subsidies, Olympic Solidarity and their host National Olympic Committees help these refugee athletes to prepare for and participate in national and international competitions. UNHCR, through its long term collaboration with the IOC, plays a crucial role in all stages of selection, approval and follow up of the athletes.
Furthermore, in September 2017, the IOC launched the Olympic Refuge Foundation to support more broadly the protection and empowerment of vulnerable displaced people through sport and through the creation of safe spaces; again, partnering with UNHCR and local implementation partners in the field.
For the last 20 years, and with the collaboration of UNHCR, the IOC has been providing relief to refugees and internally displaced people by using the power of sport to promote youth development, education, social integration and health. These actions have brought the joy of sport and the related psychological healing to refugee populations in many camps and settlements around the world.
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03 マケドニア 国語とは?
最後に。国名とは何か、国語とは何か、について考えてみたい。
よく、「民族」名などで、自称と他称が違う、往々にしてある民族を「xxx」と他民族が呼ぶのは、その民族の「言語」では「xxx」は「人」という意味しかない、という話を聞く。そもそも、異人はいたとしても、或いは、異人に出会うことがないから、自「民族」という概念がない、という解説だ。
03-01 マケドニアと北マケドニア――方位のある国名
今回の表をWikipedia (simple english「語」版) の「Comparison of IOC, FIFA, and ISO 3166 country codes」から採取したのは、昨年のはじめだ。
その当時、冒頭の茅ケ崎市がホストタウンをつとめる「国」の「略称」は単純に、「Macedonia」一単語であった。
そして、一年後の今、2020年2月、同じ、URL、
https://simple.wikipedia.org/wiki/Comparison_of_IOC,_FIFA,_and_ISO_3166_country_codes
をみると、2020年2月現在、「North Macedonia[14]」と脚注付きで変わっている。受名者同士、命名者同士で国名を巡って、疑義が、権威と権力の不安が生じていたのがある落ち着きを見せたのだ。
前述の01-06 「略国名」にみる「世界秩序」でみたように東西南北、中央といった⑥の方位を含んだ「略」「国名」は11カ国で珍しい。
方位は基準となるゼロ地点、座標軸があってのものだ。それは「単純」な一つの地理的、地域的なものを分割するものから、かつて、南北イエメンが離れ離れにあったように、一つのまとまった地域ではない方位を示しているものもある。かつての中国の王朝のように、多数の、空間的要素に時間的要素が加わり、時代がずれての方位が名称に含まれる場合もあって様々だ。他称と自称、あるいは、略名と正式名称が違う場合もあり様々だ。
03-02 北マケドニアの土地柄
内陸国の「北マケドニア」は凡そ、九州の2/3、四国の4/3、神奈川県の10倍の大きさの25,333km2である。
いうまでもなく、マケドニアという国名は、紀元前4世紀頃にあった、あのアレクサンドロス大王、アリストテレスのマケドニア王国に由来している。ユーラシアの東端、中国では戦国時代、諸子百家の頃だ。
問題はその後その「マケドニア王国」の地域、わけても核心的地域における、東ローマ帝国、オスマン・トルコに限らず、宗教的権威や政治的権力が幾度も入れ替わり、近代近くになっても、ギリシャ、セルビア、ブルガリアに分れたり、ユーゴスラビア連邦に統合されたり、その後、激しい戦争の後、多くの国が生まれる中で、同国が生まれたことだ。
この「北マケドニア」は古代のマケドニア王国からみると一部、北部の一部でしかない。
03-03 北マケドニアの人柄
さらに、土地柄もさることながら、さらにこの問題を複雑にしているのは、この地の権力者だけでなく、この地に住んでいる民衆、人々の代々の系譜も様々な移住・侵入によって7世紀ごろには大半の人々がスラブ系、その一部がアルバニア系になっていき、それに連動して宗教的信仰の構成も変化したことだ。
地位的、空間的にも、歴史的、時間的にも沢山の物語が詰まった国だ。
03-04 「国際的」な最終協定――国連事務総長個人特使の証人の下
「北マケドニア」と「ギリシア」の国名に関しての最終協定は、国連事務総長個人特使の証人の下、両外務大臣が2018/06/17署名しており、ISOのコードまで規定されている。https://vlada.mk/sites/default/files/dokumenti/agreement_mk_vs_gr.pdf
https://www.vlada.mk/node/15057?ln=en-gb
03-05 正式名称――マケドニア語で
1991/11/17に制定された同国憲法での「マケドニア語」での、現在の正式名称は「Република Северна Македонија」というらしい。
すぐれて、自称だ。憲法が律する時の「政権」であろうが「国民」であろうが、すぐれて、「国内」向けのものだ。第一「国語」が「ネイティブ」「母語」「公用語」のどれだとしても、所詮、「国語」を運用する人々にしか通じない、、、、
日本でも、「ニッポン」なのか「二ホン」なのか政府は決めていないこと、あるいは、氏名の漢字は決まっていても、読み方、氏名の順番を含めて、英字・アルファベットなどでの外国語での署名や書き方、はいうなれば自由であることを思い出させる。
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b171570.htm
03-06 世界における外国語・公用語での正式・公式名称あるいは公文書、「公」とは?
「国際的」には、外交の「公用語」たる英語やフランス語での「本名」や「略名」は外国との「外交関係」をもっている国ではどんなに愛国主義的であっても必須である。
また、国連の場、「公文書」においてはさらに拡大して中国語、ロシア語、スペイン語、アラビア語でのものが、名称といわず、どんな文書でも、最終的には、必要だ。国連公用語毎に決まっている。母国語でない「国名」とは何か、「コード」以上の複雑な物語がいくつもある。
国際舞台だけでない。「国内」でもそうだ。言語、「公用語」が複数ある国が少なからずある。連合国家で、「州」毎に違う言語を「正式」「公式」に使用している国や混在している国もあり、それぞれの準「権威」と準「権力」が「命名」しているかと思われる。
書き言葉だけでない。話し言葉の数は無数にある。人と人の組み合わせの数だけ無数にある。
03-07 人の組み合わせの数だけある言語
以前、東南アジアで聴覚障害者の高等教育を現場にたって進める熱心な教授に、東南アジアでの手話の実態を聞く機会があった。
それれ以降、「言語」や「コミュニケーション」を考えるにあたって、筆者に、欠かせなく立ち返っては、考える立脚点となるものとなった、二つの話題があった。
一つは、国境を跨いで、お構いなしに、自然に、手話は基本的に伝播していること。ミャンマーとタイ、ラオスの三角地帯の話だ。「標準」語への矯正、言語の強制、母語の剥奪、「国」語教育、同和政策とかいった話題と表裏一体の話題だ。
もう一つは、手話の数は家庭の数だけあること。隣村といわず、隣家でも、通じない手話があるという話だ。家族共同体と村落共同体、イエとムラ、コミュニティとコミュニティとコモン、話し言葉と書き言葉、同時性と記録といった話題に隣接する話題だ。、
最後に。因みに、2018年末に離任した、アンドリヤナ・ツヴェトコビッチ、初代駐日マケドニア旧ユーゴスラビア共和国大使(H.E. Dr. Andrijana Cvetkovikj, Ambassador of the Former Yugoslav Republic of Macedonia to Japan)、は元々映画人で、日本大学芸術学部大学院芸術学研究科に留、国際日本文化研究センターなどで研究、京都大学地域研究総合情報センター准教授などを歴任し、京都で製作した映画の脚本、国際交流基金の日本研究フェローなどの経歴を持つが、小津安二郎の愛好者でもあるともいわれ、茅ケ崎との縁を感じさせる。
http://women.japantimes.co.jp/20160717/visiting-ambassadors-residences/macedonia/
そうしたことを思い浮かべながら、北マケドニアのワインを飲みつつ、今回は擱筆したい。