端書――「マケドニア」

神奈川県茅ケ崎市のHPでは、

「、、、2019年4月26日に茅ヶ崎市が2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会における北マケドニア共和国のホストタウンに登録されました、、、ホストタウンとは、2020年東京大会に向けて、地域の活性化や観光振興などの観点から、日本の自治体と参加国・地域の住民とのスポーツ、文化、経済などを通じ、交流を図る制度です。駐日マケドニア共和国(現、北マケドニア共和国)大使より、神奈川県知事あてに県内の市町村とホストタウンを締結したいとの手紙が届いたことがきっかけで実現、、、1945年、旧ユーゴスラビア構成共和国の一つとして発足。1991年、旧ユーゴより独立、、、」

https://www.city.chigasaki.kanagawa.jp/bunka_rekishi/1005651/1034523/index.html

と記され、様々なマケドニアが記されている。

今回は、「国名」とは何か、「国名の略称」と何か、言語とは何か、を巡って、国コードという「コード」を軸に、軸たる「コード」とは何か、考えてみたいと思う。

このブログでは、筆者がこれまで、住処となった場所々々、わけても終の棲家となりそうな茅ケ崎を中心に、過去・現在・未来、東西南北、そして天地人と、四方八方、未練未酌なく探っていきたいという思いで始めた。

今まで、別々の目的をもって投稿していた幾つかのブログやSNSへの投稿に、若干の修正を加え、掲載のスタートとした。今回まで、主に、過去、現在の茅ヶ崎、神奈川、日本、そして中国という土地柄を中心に再録・載録してきました。

今回は、少し趣を変え、そうしたものを関係づけるものについて投稿したいと思う。

冒頭の多様なマケドニアについては、最後に、03 マケドニアで、若干の解説をしたい。

先ず、このブログ、このブログでコードを書き綴る趣旨についてから今回は始めたい。

 

00-00 溢れ返る、座標軸・コード、言語のようなもの

過去現在未来、東西南北、天地人の三軸といっても、「今の」、「此処の」、「人の」、という土俵を中心にしている訳で、それらを通底する、座標軸、といったものにも当然のことながらあるからこそ姿形をみせる。社会生活を送るには必須の「コード」、「言語」のようなものと思っている。

世の中、それぞれの場所や時、物や出来事のそれぞれに、様々に、「コード」が数多、生まれては消え、消えては生まれてきた。

「言語」の一つが「コード」であるか、「コード」の一つが「言語」であるか、いずれもあり得ると思う。でも、いずれにも、何よりも、それらを「共有」する「縁」が必要、だったことも真ではあった。ハードな「権威」や「権力」あるいはソフトな「絆」に裏打ちされた「共有」する「縁」が。

重大なのは、今や、グローバリゼーションの波にのって、市場が先陣を切り、物も、人も、国境を越え、海を越える時代にあって、一方においては、多様な「コード」の交錯に愛憎半ばにし、他方においては、一つの「コード」を希求するという、未曽有の混乱に満ちたかのような世界になり始めたことだろう。

これまでのように、先に、共有された、大地に刻まれた歴史の縁より、歴史に刻まれた大地の縁より、先に、縁を渇望するあまり、ときに、「縁が先ず在りき」、かのような縁が溢れ始め、漂白してきたように感じる。

観念的なことはおいて、とまれ、今回のシリーズでは、そうしたものが交錯し、比較的に馴染みが深いと思われる、「国コード」さらには「言語コード」というものを具体的にみていきたいと思う。

00-01 「コード」が織り成す「価値体系」「価値基準」「命名者」

今回は、オリンピック・パラリンピックの準備が進む中で、近代の世界に浸透してきた、「コード」の中の「コード」ともいえる「国コード」の狭間を探ることによって、今一度、古今東西の中で、現実存在として「国」として扱われていない地域に「属する」人々とは何かを考え、逆に、国とは何か、市民とは何か、NPOとは何か、NGOとは何か、を考えていければと思う。

00-02 「国コード対照表」

まず、3つの「国コード」の違いを比較できるように、昨2019年の初めに、「国コード対照表」を「excel」の表にした。

01 受名

01-013命名組織「 IOC」「FIFA」「 ISO」の比較から

Wikipedia (simple english「語」版) の「Comparison of IOC, FIFA, and ISO 3166 country codes」から採取した表に、若干手を加えたものだ。一番馴染みが深いであろう、アルファベット3文字による③オリンピックのIOCの国コードのアルファベット順に並べ、次にサッカーの④FIFAの国コード順に、最後に⑤国際標準化機構、ISOの国コード順に並べてみた。コードの勧進元、命名者については後、02で記したい。

01-02 そもそも「 ISO」から零れる「国」

まず、着目していただきたいのは、そもそも、いずれかのコードが与えられている252カ「国」に限られていて、当たり前だが、いない「国」は、すなわち、掲載されていないことだ。

いわゆる「国際」的に「国」として認められていない「地域」国々のある一方、④FIFAのイングランド、スコットランド、北アイルランド、ウェールズのように「連合王国」には4カ「国」もある。また、いずれ触れたいが、実質的に永久欠番のようになった「国」コードや、逆に、予め「予約」されている「国」コードもある。

01-03 「 IOC」「FIFA」「ISO」命名者から「零れる「国」」

IOC、FIFA、そしてIS0にいずれかに国コードが授与されていない「国」には、その空欄に背景色を付けた。多くがオリンピックにチームを出せないIOC小「国」(47)やサッカーに縁遠いFIFA小「国」(44)であって、その逆に、UKのようなサッカー強「国」にはFIFA「国」コードがある。

01-04 「 IOC」「FIFA」「 ISO」が同じコード世界の「主要国」

次に、三者から、授与している国コードが同じものを①太字で示したが、②にみられるように、109 カ国ある。

良く知られている国々で、大雑把にいえば、「国名」が変わっていないか、世界で時代や命名組織によって位置づけが揺れ動いていないか、似たような「国名」の後発「国」によって左右されていない国々だ。

逆にいえば、細字の国々、143カ国は、コードに、統廃合や国名自体が変更された等の歴史が刻まれているのが大半とみられる。本表は、2019年現在のものだが、後記するように、1年も経たないうちに、冒頭の「マケドニア」は①「略国名」が変化している。

01-05 「 IOC」「FIFA」「 ISO」の「価値基準」「価値体系」――命名者の考え方、受名者の勢い、命名時期のずれ

①の「略国名」で太字・細字に関わらず、赤字で示したものは、「国コード」が命名組織によって共通していない、もしくは異なるもの。命名組織によって、歴史や見方が違ったり、命名組織の中にあって「勢力」の勢いや先行・後行の違いがあったりが原因だ。

その国、と命名者との関係、権威と権力等々の間の微妙な塩梅の違いがあらわれている。

01-06 「略国名」にみる「世界秩序」

この「国コード対照表」、252カ国中、次の67カ国は⑥~⑫欄に示したように「略国名」が、単純な一つの「固有名詞」のようなもので命名されていないものだ。

⑥の11カ国は東西南北や中央といった方位が示されているもの。他の方位にある「国」の現在や過去での存在を示唆している

⑦の27カ国は異なる「国」同士が共通の語源の「単語」を含んでいるもの。元々は単一の「国」であったものを示唆している。

⑧の24カ国は複数地名になっていて、元々違う多「地域」が統合したことを示唆している。

⑨の15カ国は「and」や「ハイフン」で繋がれて連名になっていて、元々違う2「地域」が統合したことを示唆している。

⑩の6カ国は「united」や「states」を含み、元々違う多「国」が連邦のような形で統合したことを示唆している。

⑪の13カ国は「republic」等政体名を含み、人口に膾炙した国名の国に政変があったことを示唆している。

⑫の10カ国は「saint」等聖人名を含み、キリスト教が「建国」に関係したことを示唆している。

いずれも、世界、世界がお互いに境を敷き区別する国名をもって、欧米列強を中心に国家群、世界秩序が形成されていく、最中もしくは後に揉みくちゃにされながら形成された「国」が多いと思わせる。「植民地」であったりしたものが多い。

それぞれに、それぞれの経緯・事情があり、ここでは列挙にとどめ、追々、個別に学んでいきたいと思う。

02 命名

02-00 「命名」「名前」「本名」「国語」そして「無名」

上記のような異同、そして、不在の仔細については後日、随時、紹介・掲載しようと思うが、見えてくる「問題」は次の5つだと思う。

命名者とは何か。

「IOC」「FIFA」「ISO」とはなにか。現代の「神」たる標準化・平準化を現実化できる「権威」と「権力」・「金力」の源泉がみえるかと思う。とりわけ、近代国家が出揃い、それに対し、近代企業そして世界市場がそれと拮抗する現代世界の中で、その氷山の一角としての現代世界における「スポーツ」の在りかたもみえてくるかと思う。

名とは何か。

名の体系、他の「国」コードを含めての全体像の様子。そもそも「国コード」が生まれる背景にはグローバライゼーションというものの本質が垣間見える。国コードは国と国の「際」、現代世界における人間社会の国際関係の成立の証だ。

例えば、気候変動で、最近「温帯地域」各地でも頻々になってきた、台風、ハリケーンの命名者、命名システムについてかつて、別の場所で掲載したが(いずれこのブログでも掲載したい)、この命名の総本山は、奇しくも、といおうか、然るべくして、最古の「国際」「NGO」もしくは「QUANGO」もしくは「多国間」機関である「WMO世界気象機関」だ。

戦争になると、天気予報・気象情報は鎖国的になり国家機密になるといわれる一方、隣国・他国の国際的な協力なくして予報はできない。かように、国際的な名というものには、国際的に、便宜的な妥協の所産の歴史が見てとれると思う。

③「本名」とは。

さらに、「本名」とは何か、という問題を探ってみたい今回の、この「表」はWikipediaのsimple english 語版が使用している「略名」をそのまま掲載している(2019年1月現在)。

それらの大半は、命名者が「他称」として「公式」につけた略称に基づいていると考えられる。それぞれの国では、それぞれの国なりの「権威」と「権力」を駆使しての仕方で、それぞれの言語で、「本名」が「決まっている」ように思われる。

④国語、言語とは何か

simple englishをはじめとするWikiにおける「語版」の世界。2019年1月現在の「Wikipedia: 全言語版の統計」によると「2018年11月25日 (日) 09:40 (UTC)現在304言語」で、5千万記事弱だそうです。多言語インターネット百科事典プロジェクト「ウィキペディア」の名の通り、数もさることながら、全記事を検証できる人はいないと思われる世界について考察したいと思っている。他のブログでも追いかけてきたこともあるくらい、多岐にわたっての話題がみられ、このための独立ブログも考えたい。国コード以上に、言語コードの世界はもっと観念的であり、かつ、現実的でもある。

⑤そして、再び、コードとは、「無名」とは    

日本でもISOが万能でないように、あるいは尺貫法が未だに一部で、活きているように、世界でも、国際的・多国間的にも、様々なコード体系がある。有用・無用によってコードは様々。米国で「通用」していないメートル法をみるまでもなく「単位」という究極のコードもあり、各国が頑なに守っているコードも少なくないし、それを世界でも通用させようとしているものもある。お金にハード・カレンシーがあるようにコードにも剛柔があるかと思う。それらはまた、様々な「ソフト・パワー」に繋がるかと思う。

そして、忘れてならない、これら「コード」の埒外となっている、無名有実、無名者とは何かについても、追々探っていきたいと思っている。