こんにちは、セルフライト彫り師のちかです。
昨日happyちゃんの自分婚同期のらいくみちゃんのオープンカウンセリングに行ってきました。
うるせー!!!
らいくみちゃんblog→☆
らいくみちゃんは、心屋のカウンセラーさん。主に依存症について扱っているので、最初は我が家は依存症いないし、関係ないなぁと思っていたのだけど、依存症ってのは表の問題で、本当は自分自身とのパートナーシップがこじれていることに端を発しているらしい。
ってことは、らいくみちゃんは自身とのパートナーシップの専門家さんかぁ!と思い思い切って参加してみることにしました。
ここのところ、色々な手段を使いながら自分を知る練習をしています。
大好きならいくみちゃんに会いに行きつつ、カウンセリングってどんなことするんだろう♪って気軽な気持ちで行ってきました
私の悩みは、気持ちを夫に言えないことでした。
最初は、そんなんじゃなかったんです。いつの間にか言えなくなってた。言わなくなってた。
今彼は忙しいから、、、
疲れてそうだな、、、
とか、
自分が子どものことで、それどころじゃなかったとか。
これね、夫婦の問題かと思っていたら、根本は私の問題でした
話はちょっと飛びますが、
私の母はとにかく完璧主義。
人に頼らず
絶対に人にバカにされないように
必死で1人で
頑張ってきた人。
私は、母を見ては苦労かけちゃいけない、母は大変なんだ、母の期待に応えなきゃいけない、母に苦労させる頼りにならない父は大嫌いって小さい時からずっと思っていました。
母の愚痴もずっと1人で聞いてきました。
(今は父のこと好きです)
そして、あまりにも母がいつも1人で頑張り、私達が入り込む余地がないので、無力でした。かなり大きくなるまで母がいないと生きていけないと思っていました。
母の敷いてくれたレールに乗っているのが、絶対的に正しくて、そこから外れたら真っ暗闇しかないと思って、外れないように、優秀だと思われるように、ちゃんとした人だと思われるように・・・
自分の考えなんて言っても論破されるし、従っていれば間違いないんだと、無意識に思っているうちに、自分の考えなんてほぼ失っていたんですね。
これ、念のために書いておきますが、母に暴力的に従わされたり、暴言を吐いて恐怖を植え付けられたりしたことは全くありません。
母は、ただひたすら私たち姉妹のために、自分を犠牲にして、とにかく頑張ってくれていたんです。
でも、この頑張りが、実は子どもだった私の心には優しい皮をかぶった、狂気だったんですよね。
私たちのために頑張ってくれる母だから、恨みようもなく自分の気持ちは無意識下でこじれていきました。
私、実家に帰ると未だに家事を一切しなくて、全て母がやってくれるんです。
なんなら、子どもの遊び相手もしてくれる。それなのに、あんまりリラックス出来ないんですよね。休んでいても、母にまるで監視されているようで、気持ちが休まらない。
いつも前もって段取りしており、私はそれが出来てないとなじられ、忘れ物でもすれば、だから言ったのにと責められる。
母が完璧であればあるほど、こちらは逃げ場もなくなり、出来ない自分をダメ出しする。
私は自分では、実家も出てるし、自分の意思で結婚もして、自分で選んで仕事もしているし、もう母の影響はあまり受けていないと思っていました
でも、実態は母がその場にいなくても、常に私の頭の中には私が作った母がいて、私を監視し、支配し、責めていたんです。
自分ではそんなつもり全くありませんでした。だって、頭の中の思考は母の形も声もしていないので。
多かれ少なかれ、皆親の影響は少なからず受けていると思います。
でも、私の頭の中の母の支配力は他の人に比べて圧倒的な権力を持っていたみたいです。
もうね、絶対君主
自分の存在感が虫けら以下だったのかと、衝撃を受けました。
私の心は、四六時中絶対君主のもと緊張状態でした
なんか、もう私という小さな魂はさぞや虐げられ、無視され続けたのかと思うと、本当にいたたまれなくなります。
バカにされたくない自分が虚勢をはり、
頭の中の母の声に
いつも見張られ、責められている。
自分がどこにもいない
こんな緊張状態の自分が、自分も他人も見張っているものだから、夫にもリラックスは与えてあげられないし、心からの会話も出来るわけない
私はまず、頭の中の母の声に
うるせー!!!
引っ込んどけ!!
放っておいて!!
と、しっかり反抗することが大事なんだそうです。
遅すぎる反抗期
これから、頭の中の母に支配されていないか細かく細かく自分を見て、母と自分を切り離していきます。
まさに、昨日三峰神社で祈ってきた通り、自分らしく生きるのを妨げる全てのものとの縁切りです。
そしたら、引いたカードにこんなことが書かれていました。
私に必要なのは、やっぱりやめることだった
(母のことをさんざん書きましたが、それは私の受け取り方の問題で、私が私をどう生きるかは私の課題です。母は、これでもかっていうくらい全力で私たちを育ててくれたことは感謝以外の何物でもありません。)