これからの時代に特に自主的な人間が必要になってくる。
「自主的な人間」というのは、何事にも捉われずに自分という主体をしっかり持って
自ずからが物事を創造 、進化させることのできる人間である。
そして、自ら新しい環境を創ってゆける人のことをいう。
しかし、それが一歩間違えば「自己的な人間」に陥ってしまう。
自己的な人間は、一つ間違えれば、己の勝手な主観で物事を判断し、それを押し通し、
周りとの協調性を持たず、常に「自分は、自分が」と自己をとにかく強調する傾向がある。
それの極致が「自己中心的」である。
その人間が己の欲に駆られ、それに捉われた時、往々にして「利己的な人間」になってしまう。
利己的な人間とは、その字のごとく「己の利益しか考えない人間」のことである。
しかし、社会というものは個人の集合体であり、その集合体が歯車のように協力し合い、互いに補足しながら
潤滑しているので、自己を欲しいままにし、身勝手な行いをしていると、いつかは破綻し、
社会的追放を招くということは、少し考えれば中学生でも理解できる。
話が少し逸れますが、
日本語の「自分」という言葉は、非常によくできていて
自分の「自」と言う字は「絶対的な自己、独自、自ら得る自由」を表し、
しかしまた同時に、全体を作っている自己というのは、全体の一部分であるから
全体にに対する「分」である。全体と分かち合って、初めて自己があり、自由がある。
そういうことを総して「自分」という。
「自分」という言葉は非常に哲学的で深い意味がある。
最近、独裁主義国家が次々破綻し、市民革命のようなことが世界中で起きている。
これはよくよく考えれば、至極当たり前の流れで
ごく一部の人間が権力を握り、すべてのものを欲しいままに、
大多数の市民の権利や自由を剥奪し、疎外した結果に過ぎない。
こういう風に世界の情勢をよく観察すれば、いろいろなことが見えてくる。
しかし、何千年も前から同じような歴史が繰り返されているところをみると
言葉でいうほど簡単なことではないのだろう。
とにかく、今日は深く哲学をしたい気分だったのでこういう文章になりました。
かたじけない。
life is beautiful.....
