フラワーモチーフジュエリーブランド

セレンディップジュエルの

天生目理香(Nabatame Rika)です。

久々の投稿となってしまいました。

 

めちゃめちゃ久々のダメブロです。💦

忘れてしまいそうですよね。

このところ、出版に向けての企画を作っていたのと、看護師業をしておりました。

そんな中でも、ジュエリーを購入してくださっている方々にお手紙を書かせて頂いたりもしておりました。

 

 

このブログは今落ち込んでいて出口が見えない人に読んで頂きたくて書き始めたものです。

もう少しで最終話と思うのですが…。終わりそうで終わらない。もう少しだけお付き合い頂けましたら嬉しいです。

 

 

 

 
胆のう炎② (40歳どん底Ns.がジュエリーで輝く2260日 ㊳)
 
 
  入院中の母に一日中付き添っていても、特にできることは何もなかった。
 ただ、病院に任せきりにはできなかった。
 
 病院の医療体制に不安があったわけではないが、看護師も医師もとにかく忙しいことを経験上、よく知っていたからだ。
 
 自分で動けない、何も訴えることができない母を一人にしておくのはとても心配だった。
 
 万が一、ミスや見落としがあれば、病状の回復の妨げになるだろうと思った。そして、母にも安心して休んでいてほしかった。
 
 ただ、週末には那須の自宅へ帰らなくてはならなかった。
 「いつまでいられるの?」と聞かれ、「金曜日かなぁ」と答えると、母は黙ってしまった。
 
 「熱も下がってるし、大丈夫だよ。お医者さんは、最悪の場合のことばかり言うんだよ。何かあった時のために。でも、ここまで良くなってきてるんだから、大丈夫だよ。悪いこと言われても信じないでね」
 
 私は、ことあるごとに母にこんな話をしていた。医師が想定しうるシナリオの中で、最悪のことを言うことも経験的に良く知っていたからだ。そしてもちろん、自分にも言い聞かせるためだった。
 
 
 
 
 ある日、病棟の端にある小さな部屋で、消化器内科の医師から母の病状について話を聞いた。
 
 「このまましばらく経過を見ていきたいと思っています。血液のデータも落ち着いてはきてますね」
 
 胆のうに入れた管から順調に胆汁が外に出て、炎症が落ち着いてきているとの説明だった。
 
 それでも、母は眠っていることがほとんどだった。
 
 私は病室の小さなソファに座り、釧路の大谷さんに教えていただいたことを実践しようとした。
 まずは、インスタグラムの効果的な使い方から始めた。
 
 隣に重症の母がいる病室では、集中することはできなかったが、大谷さんに教えていただいたことを少しでも試してみたかった。
 
 幸いなことに、母の病状は金曜日になる頃にはだいぶ落ち着いてきた。会話も普通にできるようになり、熱が上がることもなかった。
 
 週末には、少し安心した気持ちで那須に戻ることができた。
 さらに数日後、母が整形外科病棟に移ったと兄から連絡を受け、ホッとした。
 
 そんな日々が続く中で、釧路から戻って以降、コツコツと続けていたSNSの反応が増え始めてきた。