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セレンディップジュエルの

天生目理香(Nabatame Rika)です。

 

 

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 延命治療について ②(40歳どん底Ns.がジュエリーで輝く2620日 ㉜)
 
 
 逝こうとする命を医療の力で無理やりこの世界に留める。
 
 私にとって延命治療はそんな風に感じるものだった。
 
 肉体的な苦痛の期間が増えるだけで、本人にとってはあまり意味のないこと。だから、自分や自分の家族には絶対に延命治療はしない。ずっとそう思ってきた。
 
 私は医療現場で見てきた延命治療がどんなに大変なものかを一生懸命説明した。
 
 心臓マッサージをしたら、肋骨だって折れる。
 心臓が動き出したとしても、ずっと挿管されて人工呼吸器につながれたまま。
 話すことはもちろん、食べることもできないし、意識も戻らないかもしれない。
 
 「ただ延命されているだけなんだよ。見ているのも苦しくなるくらいなんだから、本人はもっと苦しいんだよ。肉体的な苦痛を強いられるんだよ」
 
 けれども、実際に見たことのない人たちに、どんなに説明しても分かってもらえない。
 父も兄も「延命治療を希望する」と言い続けた。
 
 それは、もちろん母と別れたくないという家族の強い思い。
 
 実際に、死の淵にいる母を前に、延命治療をしなくていいと言うのは辛いことだった。
 「延命治療なんて、やめた方がいい!」と家族に何度も言いながらも、実際にそれを医師に伝える勇気はなかった。
 
 私も、母の死を受け入れることはできなかったのだと思う。
 
 数日間、何度も家族で話し合った。私以外の家族はやはり、延命治療を希望する気持ちが固かった。
 
 そして事故から3日後のこと。
 人工呼吸器が外された。
 容態は落ち着いてきたように見えた。
 
 ただ、医師からは、依然として「いつ急変してもおかしくない状況」との厳しい説明を受けていた。
 
 母はほとんどの時間眠っていたが、言葉を話せるようにまでなってきていた。
 
 そして1週間後には、ICUからHCU(高度治療室)、一般病棟へと転棟した。
 
 私は、病院の面会時間を無視して、朝から晩まで母のベッドサイドに付き添っていた。
 
 瀕死の状態まで傷ついた母の命は、生きる方向に動き出したように感じた。
 
 

このストーリーの①はこちらからお読みいただけます。

 

 

 

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