RYUの生き方、逝き方 -58ページ目

引き潮だけの海

俺には何の根拠もないが、「老い」は心臓に遠い箇所からあらわれるという持論がある。

簡潔に言えば足と脳だ。

だからスポーツクラブでも足を中心にしたメニューを組んでいる。

なので老化対策は万全のつもりでいたが、甘かった。

今日は岡山まで日帰り出張だった。

電車が苦手なのでクルマで行ったが何度も行っているのに、今回は途中で目が疲れてしまい秘書に運転を代わってもらった。

脳は岡山までノンストップで何度も行った事を記憶していてゴーサインを出すのだが、目がついていかない。

少なからずショックだった。

昔から視力には自信があり裸眼で免許更新もパスしてきた。

次回更新は裸眼では無理かもしれない。

大型免許を持っているので普通免許より深視力検査というのがプラスされ検査が厳しいのだ。

思えば視力だけは鍛えようがない。

そういえば以前出来ていた事に疲れを感じることが多くなった。

ふと生残一人で生きてゆくのか真剣に考える時期かもしれないと助手席で思った。

どうしてこんなに哀しいんだろう

最近朝どっと落ち込む。

夜落ち込むのは誰でもあるが、朝一哀しみでいっぱいの心で目がさめる。

鬱の典型的症状だ。

理由は分かっている。

ウランがいないからだ。

今でも部屋で音がすると「ウランかな?」と思い「ウランはいないんだ、、、。」と思う瞬間が辛い。

昨日はウランの月命日。

毎月月命日には卒塔婆供養を宝塚動物霊園に頼んである。

昨日は所用で行ってやれなかった。

後ろめたさからか哀しい夢を見た。

16年の重みを感じる。

もう生残犬は飼うまいと思う。

忘却のススメ

もう随分昔になるが、当時付き合っていた彼女が

「あなたが『好(このみ)は人に本当に理解された事あるか?俺はない。』って言った時から私はあなたの本当の理解者になろうと思ったの、、、、。」

と言われ少しショックを受けた事がある。

言った事すら覚えていなかったからだ。

何故「少し」かと言えば、この手の事は日常茶飯事で、相手は俺の言った言葉を大切に思ってくれていて、当人は忘れてる事ばかりだからだ。

中にはかつて言ったらしい俺の言葉で、現在の自分が癒されたりという不思議な現象が起こる。

どうも右脳の左脳のバランスが悪いようなのだ。

ただ唯一の救いは、物覚えがよかったら今頃俺は発狂していたのではないかと思う事だ。

物忘れは狂気の扉を開けない為の安全バルブと思えば忘れる事も悪くない。

嗚呼、今日も忘れてゆく、、、。

言葉と温もり

遠い愛の言葉よりも

いつわりの温かさが心地よ

い夜もある。

フェイク

悪いが

愛の

切り売りは

やっていない。

薬の名前

本当は苦労なんてしない方がいい。

苦労は心を疲弊させ徐々にほころびをつくる。

そのほころびた穴が常に悲しみを引き寄せる。

純粋であればある程、心は傷つき悲しみにつつまれる。

そのほころびを埋める唯一の薬の名を持ちながら

孤独死した俺のただ一つのお気に入りの女性の悲劇を思う。

合掌

愛の法則

誰も愛していないのに

人に愛を求めちゃいけない。


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生きる力

胸の前で手を合わせてみる。

合掌するように。

この時両手がどれだけの強さで胸の前で均衡を保ってるのかは本人にしか分からない。

軽く手を合わせても力一杯合わせてもポーズは同じだ。

力加減は本人にしか分からない。

一日をを生きるという事も、軽く過ごせる人と精一杯生きてる人も傍目からは分からない。

人の心を大切に。

自分の心を大切に。

希望の存在

人は辛さには耐えられる。

明日に希望がある限り

希望なき明日は

人を人生の奴隷にする。

他力

俺は人からよく根気強いと言われてきた。

裏を返せばあきらめが悪いのだ。

でも最近あきらめが早くなった。

五木寛之さんが「他力」という本の中で書かれているが、物事が上手く行くときは他力の風(追い風)が吹いていて

中々上手く進まない時は、逆風だ。

だからすべてを受け入れようという趣旨の本だ。

読んだのは11年前だ。

「その頃はそうなもんなのかな?」

程度の感想だっが、最近になって氏の言われている事が分かってきた。

人は皆、大河の一滴。

逆らっても大河の流れは変わらず、どこへとも知れず流されて行く。

結局、なるものはなるし、

ならないものはどうあがいても、何ら変わらないのだ。

俺はそこに人生は「寛容のこころ」を持って生きようという自然の摂理を感じる。

「大河の一滴」講談社 五木寛之著

また読み返すと味わい深いだろう。

RYU