現在の土浦の中央二丁目と川口一丁目は、かつて『祇園町』と呼ばれた商店街があり、土浦に過ぎた新市街と言われ、土浦で買い物するなら祇園町と言うくらい大繁盛して、土浦の新名所にもなったそうです。
川口一丁目の辺りには商店街が建ち並び、『土浦銀座』とも『目抜通り』とも称されたそうです。
土浦の郊外に住む古老によれば、『かつての土浦の町と言えば、まるで別世界の様な雰囲気があった』そうです。
川口町にある『モール505』
1985年だったかな、筑波万博が行われた時に、造られたショッピングモールで、当時は様々な店舗が入っていたみたいですが、現在はシャッターが閉まっている店舗が多いです。
左側に見えるのは、土浦駅東口からつくば市方面に抜ける高架道で、こちらも筑波万博の頃に造られました。
この写真に写ってるマンションの場所には、かつて『小網屋』と呼ばれるデパートがあり、一階部分にはマクドナルドが入ってて、当時の筆者は良くマクドナルドに入ってハンバーガーを食べてました。
亀城公園方面。
因みに昭和の始め頃までは、川口川と呼ばれる川が流れていて、土浦港より流れる川がモール505のある辺りから道路の125線の場所を川口川が亀城公園方面へ流れてましたが、その上を蓋をするような形で商店街や道路を作ってしまいました。
上の写真からは少し先ですが、保立食堂の前には水戸街道を渡る為に造られた桜橋の碑が建てられていて、今も道路の中に埋められています。
話を元に戻しますが、ナカタカメラ屋の裏手の辺りにだったかな?
川口一丁目の方に戻り、セントラルシネマズの少し先にある路地を東崎町方面へ進むと、そこに見事な造りの『幸福稲荷神社』が鎮座していました。
移設前の幸福稲荷神社は余り手入れされてなかったのか、境内の様子が余り綺麗じゃありませんでした。
綺麗な社殿に移設して貰って、かえって良かったのかもしれません。